コラム

ヨシタ手工業デザイン室が“自分で売るデザイナー”になったわけ

東京都小金井市にある「ヨシタ手工業デザイン室」。台所用品や食器などのプロダクトデザインを手がけながら、その多くを自らのネットショップで販売しています。

他社製品であっても、自らデザインを手がけたものであれば「売らせてほしい」と申し出る。そもそも、デザインが専業であるデザイナーが自ら販売まで行うというのは、あまり一般的ではありません。


ステンレスラウンドバーシリーズ「ナベシキ(十字)」(写真左)と「ナベシキ(Y字)」(写真右)

しかもヨシタ手工業デザイン室はスタッフを含め4名程度と、ごくごく小規模。それなのに自ら在庫を管理し、販売までを行うのはなぜ? デザイナーの吉田守孝さんにお話を伺うため、小金井市の閑静な住宅街にある工房を訪ねました。

プロフィール
吉田守孝(よした・もりたか)
1965年、石川県小松市生まれ。1988年、金沢美術工芸大学工業デザイン専攻卒業。大学卒業後、(財)柳工業デザイン研究会に入所し、柳宗理に師事しデザインと民藝を学ぶ。2011年12月にヨシタ手工業デザイン室設立。

▼ヨシタ手工業デザイン室
http://www.yoshitadesign.com/

制約のなかで「製品を育てる」という感覚

本題に入る前に、吉田さんのデザイナーとしての経歴から教えてください。

デザイナーとしてのキャリアは柳宗理先生の事務所(*1)から始まっています。その後、個人として最初に手がけたプロダクトが「ステンレスラウンドバーシリーズ」の「センヌキ」ですね。

*1…柳工業デザイン研究会
柳宗理が1952年に設立。柳宗理は1950~60年代に活躍したインダストリアルデザイナー。代表作は「バタフライ・スツール(天童木工製作)」。東京オリンピックでは聖火コンテナ、トーチ・ホルダーや競技場の座席をデザイン。札幌冬季オリンピックでも聖火台、トーチ・ホルダーのデザインを手がける。


ステンレスラウンドバーシリーズ「センヌキ(A)」(写真上)と「センヌキ(B)」(写真下)。一見、工具のように無骨なデザインだが、持ってみると不思議と手に馴染む

「センヌキ」を作ったのは、「センヌキビールバー」というイベントに出展するためだったんです。

どんなデザインにしようか考えていたときに、以前から付き合いのあった新潟の工場に相談しました。新潟は燕市のステンレス加工が有名なので、工場の方と「せっかく新潟で作るならステンレスで作ろう」という話になったんです。そこで、金属の丸棒を押し潰し、板状に成形された「ラウンドバー」という素材を知りました。

ラウンドバーを素材に選んだ理由は何だったんでしょう?

一番は予算の問題ですね。本来、プロダクトを作るときって、量産のために金型を起こすんです。ただ、その金型の費用がばかにならないんですよ。たとえばケトルが数百万円とか、スプーンでも一種類につき数十万円とか。展示やイベントのためのプロダクトだと、金型を起こすのはなかなか厳しいんです。

でも工場で技術者に相談する過程で、金型を起こさなくても、手作業で加工できることがわかりました。量産は難しいんですけどね。そうやって少ない初期投資で、100個くらいの単位から小さく始めたのがラウンドバーシリーズでした。


ステンレスラウンドバーシリーズ「ピーラー」。断面が丸く、優しい印象なのは、丸棒を押し潰し、板状にしたラウンドバーを加工しているため

それまで柳事務所で学ばれていたデザインとは違う考え方ですか?

考え方というよりは、与えられた条件がまったく違う感じでした。使える加工に制約があるんですが、その分、すごくシンプルで合理的なデザインになるんです。

例えば、ピーラーは実はすべて同じ“R(角の丸み、半径のこと)”を使っています。どのくらい曲げるかによって、見え方が違っているだけで。

加工に使用するRは一定で、どこをどの程度曲げるかを変えることで全体を形作っていく

製造のコストを抑えるのもデザインの仕事なので、既存の設備の中でできる加工を元に製品の形を決める。それでまずは作ってみて、ある程度の数が売れるようになったものから量産用の金型を起こしていく。そういう“育て方”ができると面白いシリーズになっていくんじゃないかと思ったんです。

最初のプロダクトである「センヌキ」から、ご自身で販売されていたんでしょうか。

そもそも展示やイベントのためにデザインをしたものなので、作ったところで誰かが売ってくれるわけでもないんですよ。それこそ自分たちで売るしかなくて。

やらざるを得ない状況から「自分で売ること」が始まったんですね。

ヨシタ手工業デザイン室が販売も手がける理由

その後も、ご自身での販売というのを続けられたんですね。

はい。メーカーから依頼されてデザインした製品の場合、販売はメーカーにお任せするのが普通です。ただし、うちの場合はこちらから「販売させてほしい」とお願いしています。

地方の小さいメーカーだと、独自の流通ルートを持っていない場合が多いんですよ。例えば、「トリップウエア」という食器のシリーズは岐阜県瑞浪市のメーカーと一緒に作っています。岐阜県のような大産地になると、地元の問屋が強いんですよ。問屋はお客さんからの注文がなければ商品を仕入れません。そうなると、メーカーは販路を見つけにくくなってしまうんです。

それで、吉田さんのほうでも販売を引き受けたと?

そうです。まずは、せっかくデザインしたんだから売りたい、という気持ちから。それに、売っていかないと新しい販路も見つからないという状況もあり……。最終的には製品のパンフレット制作から販売まで、トータルで引き受けるようになりました。

とはいえ、自分で販売するのは、手間もかかるし在庫を抱えますよね。ある意味リスクでもありませんか?

自分で売るところまでやるデザイナーというのは少ないので、友だちのデザイナーなんかは積まれた在庫を見ただけで、「うわぁ、無理」となるそうです。でも、自分は全然そうではなくて、むしろ嬉しくなったところがあって。

なんでだろうと考えたら、私の実家は焼き物の上絵付けをする窯元なんです。焼き物の素地を発注して、上絵をつけて販売するのが家業だったんですね。だから出荷や納品は日常のことでしたし、在庫が積まれている風景が当たり前だったんですよ。

なるほど。

だから「気付いたら実家と同じような仕事を始めたぞ」という感覚でした。両親から何か教わったわけではないんですが、どこかで「やれるんじゃないか」という感触がありましたね。

それに柳先生は事務所の近くで、「柳ショップ」という自身がデザインした製品を扱うお店をやっていたんです。だから、やはり販売の現場や流通というのがすごく身近にあったんですよね。

ある意味、自然な流れだったんですね。

それに、私のように「自分で売るデザイナー」というのは珍しいので、その姿勢を買ってデザインをお願いしてくれるメーカーさんもいるんです。「『売る』ことの大変さをわかっているだろうから、一緒にやろうと思った」と言ってくださって。

BASEはインターネット上の「見本市」

いわゆる販売戦略みたいなものはあるのでしょうか?

そうですね、柳事務所では「デザインの仕事をください」というような、いわゆるデザイナーとしての営業は学びませんでした。一方で、セルフプロダクトの製品を作って見てもらうことが営業になる、ということを学びました。

そもそも営業よりも、作ることに時間をかけるほうが自分には向いているのではと思っていたんです。そこで、作った製品を見てもらうために、見本市に出展しています。販路の多くはそこから作られていますね。

ただ、どこに売れるかなんて最初はわからないんですよ。見本市にとりあえず出してみて、「こういう人から反応があった」「こういう人に興味を持ってもらったな」っていう感触を掴みながら、現在に至っている感じで。

そのなかで、なぜネットショップでの販売を?

もっと広く製品を見てもらうためには、インターネットでの販売をやったほうがいいんじゃないかと考えていました。そんなときに、見本市の主催の人からネットショップのサービスをいくつか紹介してもらったんです。

そこで条件などを比較して、BASEがうちに向いてるなと思いました。いちばん操作がスムーズに進められたんですよ。

今の販売のメインは「卸売」です。見本市で出会った販売店さんに商品を卸していくんですけど、全商品を扱ってくれる販売店というのはすごく少ないんですよね。でも、ネットショップだと全商品を載せることができる。インターネット上の見本市じゃないですけど、オンラインカタログみたいな感覚ですね。

ネットショップをやるうえでの課題はありますか?

残念ながら、現状ではBASE経由で販売できている数は少なくて。そもそも自社のネットショップがあることを宣伝できていないので、もっとアピールが必要だな、と思っています。

商品開発もして、販売店へのPRもしてパンフレットも作って……となると、なかなかネットショップの宣伝まで手が付けられていない状態ですね。

自分が納得できるデザインの製品を世の中に出し続けたい


新作の爪切り「Griff」はヘッドが回転式に

最後に、今後の展望について聞かせてください。

現状は売上のなかで商品販売の比率が高いんですけど、徐々にデザインの売上で維持できるようになればいいかなと思ってます。

今は「せっかくデザインしたので、うちでも販売させてほしい」とメーカーにお願いして扱っている製品もあります。それって本来はうちで売らなくてもいいものを売っている、ということにもなりますよね。

とはいえ、売ることを止めるつもりはなくて、無理のない範囲で継続していきたいです。販売があるからできる開発もあって、今後も販売とデザインを両輪みたいな形にして継続していければいいですね。

今後も「自分で売るデザイナー」であることは変わらないんですね。

そうですね。そのためには今の自宅兼事務所ではなく、別に事務所を借りたほうがいいかなと思っています。製品の数が増えたぶん在庫がね……事務所のスペースを超えて、あっちにもこっちにも溢れてしまって。

たしかに、玄関にもたくさんの箱が置いてありましたね。

大変なことも多いですけど、自分が納得できるデザインの製品を作って、世の中に出し続けることが一番やりたいことなんだと思うんです。柳先生から、それをやるのが仕事だと刷り込まれてるんですよね。

仕事ぶりを見てても、本当にとにかくデザインが好きな方でした。逆に言うと、お金儲けが下手な先生でもあって。良くも悪くも、そういう発想が全くない先生だったので、僕もお金の儲け方を教わらなかったんでしょうね(笑)。

区切り線

デザイナーとして市場に向き合い続ける吉田さん。最後に思い出したようにこう語ってくれた。

「実は、私はデザインが専門なので、妻に販売部門を担当してもらっています。彼女がいないと、商品の発送や在庫の管理など、なかなかできないだろうなと思います。販売店にいた経験があるので、僕よりはるかに経験や知識もある。非常に助かっていますね。」

家族の支えも受け、魅力的なプロダクトを世に届け続ける。ヨシタ手工業デザイン室のこれからがますます楽しみになった。

ヨシタ手工業デザイン室
  • 「手で触れ五感に感じることを大切にしたい」「手を動かし道具や素材との対話から気づき着想したい」とい思いから手工業と名前づけられた小さなデザイン室。風土や環境と伝統の豊かさに生かされていることを知り、デザインすることで今日の暮らしに少しでも還元したいと考える。
  • BASE「ヨシタ手工業デザイン室」

きむらいり

1990年生まれの編集者/ライター。北海道函館市出身。実家はちいさなパン屋です。動物が好きで、この世で一番愛らしいのはカバだと思っています。

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