コラム

「力が欲しい。もっと発信するために」現代に生きる畳職人の処世術

「性格が合わない人に会ったことがないです」

そう話し、屈託のない笑顔を見せる、畳職人の青柳健太郎(あおやぎ・けんたろう)さん。手に持つのは、日本の伝統工芸である「畳」を組み合わせたトートバッグだ。


(写真左から時計回りに)「TATAMI-diarybook 」(¥22,000)、「TATAMI-long wallet Patchwork 」(※現在は売切)、「tatami-name case 畳名刺入れ 焼き印タイプ」(※現在は売切)

思わず目を引く、畳と日用品の融合。青柳さんは、通常の床材としての畳を手がけるだけでなく、畳を使ったオリジナルプロダクトをネットショップで販売している。

千葉県銚子市に店を構える大正5年創業の畳屋「青柳畳店」の4代目。

畳の新たな可能性を見出す新進気鋭の畳職人として、東京オリンピックの公式PVの出演や内閣総理大臣主催の「桜を見る会」への出席など、折り紙つきの存在だ。

青柳さんが出演している、2020年東京オリンピックの公式PV

そんな青柳さんは「これからの時代、職人は自ら価値を創り出さないといけない」と語る。

畳の原料を作る農家の心に寄り添い続ける青柳さんの姿勢から学べたのは、現代に生きる職人の「処世術」だった。

プロフィール
青柳健太郎(あおやぎ・けんたろう)
高校卒業後、専門学校でインテリアデザインを学んだのち、東京のデザイン会社に就職。企業やデパートの催事での空間デザインなどを手がける。27歳で帰郷し、青柳畳店の4代目となる。

イグサ農家の心に寄り添うリプロダクト製品

稲田

青柳さんの作っているプロダクトを見て、畳でこんなこともできるんだ! と驚きました。

青柳

そう、畳って面白いんですよ。僕は日本各地の職人とコラボレーションして、さまざまなプロダクトを制作しています。


木目の美しい木椅子に、種類の異なる畳が織り込まれている

青柳

例えば、これは大手百貨店との企画で、木工職人と一緒に制作した「夢の出会い」というタイトルの椅子です。「完成するまでの過程も『商品』になるのでは?」という視点で、お客さんの欲しい椅子のイメージを聞き、その通りに制作したものでして。他に、ファッション関連のプロダクトも多いですね。


畳のヘリを再利用したバッグ

稲田

面白いなあ。あの……そもそもの疑問で恐縮なんですが、畳ってどうやってできてるんですか?

青柳

畳に欠かせない材料が「イグサ」という植物です。イグサを乾燥させて編み込んだものが、畳の表面に使われる「畳表(たたみおもて)」。単体で使うときは「ござ」と呼ばれます。


イグサを編み込んだ畳表(ござ)


畳表を「畳床(たたみどこ)」と呼ばれる芯材に巻きつけ、「畳縁(たたみべり)」と呼ばれる帯状の布で縁をくるむと畳が完成する

稲田

畳職人さんは工程のどこから関わるんですか?

青柳

畳床と畳表、畳縁を組み合わせるところからですね。イグサの栽培から収穫、そして干したイグサを編んで畳表をつくるのは農家さんです。職人といえば「作るだけ」のイメージもありますが、畳職人の場合、お客さんとのコミュニケーションが欠かせません。家に直接出向いて、古くなった畳を新しくしたり、メンテナンスをしたり、お客さんとの間に関係性を構築することも大事な仕事の一つなんです。

稲田

コミュニケーション能力が求められるのは、職人といえども例外ではないということですね。オリジナルプロダクトが生まれた背景には、何があったのでしょうか?

青柳

オリジナルプロダクトの畳には、商品にならなかったイグサを活用しています。というのも、一定の長さに満たないイグサは織り込むことができないので破棄されてるんですね。僕はそうした、いわば「できの悪いイグサ」だけでプロダクトを作っているんです。

青柳

実は、イグサを育てる技術と能力があれば何の野菜でも作れると言われるくらい、イグサの栽培は難しいんですよ。肥料や水を入れるタイミング、刈り取りの時期は年によって変動するため、イグサ農家さんは長年培った感覚だけを頼りに栽培しているんです。でも、日本のイグサ農家の軒数はここ10年間で半減し、およそ500軒しか残っていません。住宅環境が変わって昔ほど畳は作られていませんし、「トマトを作るほうが儲かるから、イグサの栽培をやめたい」って言う人がいても仕方ありません。そこで僕は、イグサを使って商売をする畳職人として、栽培を継続してもらうためにはどうすればいいか考えたんですね。そこで思いついたのが、農家さんの心のケアの大切さで。

稲田

心のケアとは……?

青柳

手塩にかけて育てたイグサなのに、短いだけで廃棄しないといけない農家さんは、どんなにやりきれないだろう? と思ったんです。僕も子供が二人いるのですが、できの良し悪しに関わらず、込めた愛情に差はありません。そこで、畳にするには短すぎるイグサでプロダクトを作れば、農家さんに喜んでもらえるのでは、と考えました。

稲田

たしかに、農家さんが「そんなところまで考えてくれたのか!」と思ってくれそうですね。

青柳

そんな風に、いい意味で人を驚かせるアイデアを生むのが僕の得意分野でもあったので。もちろん僕がイグサを高く買い取って、農家さんの利益に貢献できれば一番です。でも、農家さんの原動力は「どれだけ稼げるか」よりも「気持ち」の方が大きいんじゃないかと気づいたんですよ。


青柳さんの父で、青柳畳店の3代目である青柳治雄さん。「イグサは『育てる』『織る』の2種類の工程がある農作物。畳業者は、イグサ農家に注文すればイグサが届くという『当たり前』を見直し、農家の人のことももっと考えるべきなのでは」と語る

小さな声を届けるためにインディペンデントを貫く

稲田

青柳さんの手法は、農家さんの心に寄り添っていると感じます。そんな風に農家さんに向き合うようになるには、何かきっかけがあったのでしょうか?

青柳

建材メーカーとの関係性で、農家の方が窮屈な思いをしているのを知ったことです。というのも建材メーカーが新素材として、イグサの代わりに紙をこより状にして樹脂で固めた畳を売り出していまして。たしかに新素材の畳には「カビない」などのメリットもあるのですが、調湿や空気の浄化、リラックス効果のある香りなど、イグサだからこそのメリットもたくさんあります。しかし、建材メーカーの方が資本力の分だけ声が大きいので、どうしてもイグサ農家の作る伝統的な畳の価値が世の中に伝わりづらいんです。

青柳

僕が大手の建材メーカーとは組まず、インディペンデントに活動をしているのは、自由に発言できる位置にい続けたいからです。だから、建材メーカーの発表会に呼ばれた際には、少しでも農家さんの心の支えになればと、イグサと新素材のメリット・デメリットを平等に並べて語るように心がけています。そういう場では、どうしてもイグサを下に見たネガティブキャンペーンになることも少なくないので。そうしたら、僕の講演の後に、農家のおっちゃんたちが「よくぞ言った」って目に涙をためて感謝してくれることもあるんです。

稲田

農家さんが発することのできない、小さな心の声を代弁すると。

青柳

はい。メーカーの下請けをしている畳屋さんは、こんなこと絶対に言えません。僕は、小さな声を抱えた人たちの思いを大きな場所で代弁したい。だからインディペンデントを貫いているんです。農家さんの気持ちに応え続けると、彼らが僕を応援してくれることも分かってやっています。小さな声を集めれば必ず大きな流れも生まれるんですよ。

大事なのは自ら価値を創り出すこと

稲田

青柳さんのプロダクトは、農家さんの気持ちに応えるだけじゃなくて、同時に畳の可能性を切り開いているようにも見えます。

青柳

小中学生向けに畳を作るワークショップを開くことがあるんですが、いつも言ってるんです。「畳を作れることなんか何にもすごくない。Youtubeを調べれば、作り方は出てくる」って。最低限のノウハウはそこら中に転がっています。だから、大事なのは、「自分でどう価値をつけられるか」だと思っています。結局どんなにすごいものでも人が求めないと、価値がありませんから。


取材時には、畳に自ら選んだヘリを縫い付けるワークショップを体験させていただいた

青柳

だから僕はワークショップの後、子供達に「どう?面白かった?」って聞くんですよ。そしたら、なかには「うーん…」って返事に困る子供がいる。僕はそのとき「ね?そんなもんでしょ。僕らもそんな感じだよ」って言うんです(笑)。

稲田

え!そんなこと言っていいんですか?

青柳

ただ、その後、子供達に言うんです。「それをどう自分で価値をつけるか、これが面白いんだ」って。

稲田

たしかに、価値のつけ方はまだ可能性が無限にありますよね。

青柳

職人は目の前の制作に打ち込むだけではなく、視野をもっと広く持った方がいいと思います。僕は、畳屋を継ぐことを決意した上で、あえてデザイン学校やデザイン会社に入り、外の世界を知る努力をしました。伝統工芸品の後継者は、外を見る機会のないまま、ひたすら制作に没頭しがちです。それだと、文化の衰退が来た際に「なんで俺は一生懸命やっているのにこんなことになるんだ」と思い悩むようなことになりかねません。戦後バブル期の建築ラッシュと同時に畳屋は繁盛したのですが、当時は和室が主流でした。その時代の「寝ても覚めても仕事が来る」という感覚をまだ引きずっている職人がいるんです。これからの時代、職人が忘れてはいけないのは、外の世界との接点を持ち続けることなんじゃないでしょうか。

これからの職人の処世術


畳店の前には銚子の海が広がる。湿気を帯びた潮風が、畳の仕上がりに好影響を与えるのだという

稲田

青柳さんは、まさに「現代に生きる職人」の最前線に立っていらっしゃるように見えます。

青柳

そうですかね。「もっと自分の声を届けられる位置に行きたい」とは思っています。だから、政治家や有名人など、発信力のある人を見つけたら、素直に思いをぶつけてるんです。「力が欲しい。なぜならこういうことをもっと発信したいから」って。そのおかげで届けられる範囲も徐々に広がってきました。

稲田

強い思いがあれば、呼応してくれるということですね。

青柳

世の中に影響力があって、真正面からいっても会えない人でも、知り合いを辿って近づいていけば絶対に会えるし、心も開いてくれます。身内的な感覚で距離感を縮めるのは、僕の処世術ですね。だから僕は、性格が合わない人に会ったことがないんですよ。あくまで自分の視点からだけですが、誰かを人間として嫌いになることがなくて。

稲田

たしかに、お客さんとの関係性にはじまり、職人同士のコラボ、農家さんの心のケアなど、青柳さんの活動はすべて「人」を起点にされていますよね。

青柳

父親がお客さんと話す姿をずっと見てきて、「こんなにお客さんと楽しそうに仕事する職業ってあるのかな?」って思ったところから、僕の畳職人への憧れは始まってますからね。今の若者って、目上の人を持ち上げたり、人間関係を形成したり、そういうことを嫌がるじゃないですか? でも実はメリットばかりだし、慣れてしまえば楽なのになぁといつも思ってます。地元で僕は中堅くらいの年なのですが、飲み会などがある際はいつも、誰よりも先に会場に着いて、ずーっと先輩のおっちゃん達のお世話をするんですよ。お酌をしたり、僕はお酒を飲まないので帰りに皆さんを車で送ったり。

稲田

毎回それだと、大変じゃないですか?

青柳

全然、苦にならないですよ! 1回の飲み会で2件くらい仕事が決まりますから(笑)。地元の人付き合いって、めちゃくちゃ大事なんですよ。職人とはいっても、ものの価値は相手がいて初めて成り立ちます。だからまずは、目の前の人を大切にすることからですね。世界で仕事しようが、地元で仕事をしようが、そのスタンスは変わりません。

青柳畳店
  • 創業大正十五年・青柳畳店四代目のセレクト&オリジナルtatami-goodsを紹介しています。
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稲田ズイキ

1992年生まれの編集者/ライター/僧侶。Webメディア会社勤務のち独立。京都のお寺の副住職だが、各地を転々とする「定住しない住職」活動中。

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