アスノオト代表の信岡良亮さんが構想し、2025年の開校を目指す「さとのば大学」にはキャンパスがない。国内のローカル諸地域を1年おきに旅して学ぶというユニークなコンセプト。まったく新しい学びの場だ。
オンラインの授業で学ぶのは、知識というより、人との関わり方や考え方。そこで学んだことを生かし、地域の課題解決に住民と一緒になって取り組んだり、自分発信のプロジェクトに人を巻き込んだりと、「やってみて」学ぶことを重視する。
信岡さんは2007年に島根県隠岐郡の海士(あま)町に移住。人口減少の小さな島で、持続可能社会の実現を模索し始めた。その先には、島と都市をオンラインで結んだ実験的な学びの場「地域共創カレッジ」などの取り組みも。「さとのば大学」の構想はその延長上にあり、これまでの活動の集大成的な位置付けであるという。
時代の変化がどんどん加速する中、働き方や住まい方も変わってきている。では、学び方はどうか。
「旅して学ぶ」なんてなんとも楽しそうな響きだが、信岡さんがこのプロジェクトに取り組むのには、単に楽しいというだけではない危機感がある。
「いまやらなければ手遅れになってしまいかねない。そのタイムリミットは2025年」と信岡さん。
なぜいま「まったく新しい大学」を作らなければならないのか。いまから7年後の2025年という年は、日本にとってどういう意味を持つのだろう。
プロフィール
信岡良亮(のぶおか・りょうすけ)
人が何かを学ぶのは、自分の居場所を作るため
なぜいま新しい大学を立ち上げようとしているのでしょうか?
ひとことで言えば、日本の教育システムを「プロジェクトから物事を学ぶ」スタイル中心に変革したいと思っているんです。
そもそも、人はどうして何かを学ぶのでしょうか。『下町ロケット』のモデルになったことで有名な植松努さんは「思うは招く」と題したTEDxのスピーチで、「人が勉強するのはいい会社に入るためでも楽して稼ぐためでもなく、誰かの役に立つためである」という趣旨のことを言っています。まったくその通りだなと思うんですよね。
誰かの役に立つと、すごく分かりやすく自己肯定感が上がる。だから社会の中に自分の居場所があると感じることができる。つまり、人が何かを学ぶのは、最終的に自分の居場所を作るためなのではないか、と。
しかし、いまの日本の学び方はそれにふさわしい形になっていません。その学びから自分がどういう力を身につけられるかの具体的なイメージはなく、ただ知識として知っておいた方が良いとされることが他人から与えられる。
フリーランスで働いている人は特にそうだと思いますが、社会人になってからの方が学生のころよりもずっと勉強するじゃないですか。
真剣に仕事をしていると、自分の力不足に悔しさを覚える場面がある。だから勉強するし、それが実力につながることで人から喜ばれ、また自分自身の喜びにもなる。学びとは本来そうあるべきだと思うんです。
テストでいい点を取るためではなく、社会で生きていく力や、自分が守りたいものを守るための力をつけるための学び。そのために、日本の学習システムそのものを実社会とつながったプロジェクト中心の形へと変えていきたいんですよ。
「未来は自分たちで作れる」と思える人が足りない
「さとのば大学」の構想はどこから着想を得たんですか?
ぼくがこれまでの人生で経験してきたいくつかのパーツが組み合わさって、今回の構想になっている感じです。中でも大きいのは、やはり海士町で過ごした6年半ですね。
ぼくはもともと、「この島全体を持続可能な社会にしたい」という思いを持って移住しました。人口わずか2300人の閉鎖空間だし、そんなに難しいことじゃないだろうと思って。でも、すぐにそれは間違いだったと気づかされました。
例えば町の予算50億円のうち、8割は国などからのお金で賄われている。ということは、仮にこのお金がストップすれば、島はその瞬間に機能しなくなるわけです。
「サステイナブルである」ことの意味って、必要なものがその中でちゃんと循環するということだと思うんですけど、現実には、その8割が循環の中にない。供給元である都市側とのコミュニケーションなしには、サステイナビリティはありえないってことが分かって。
島はもっと大きなサイクルの一部に過ぎなかった、と。
これまで、地域の問題は地域だけの問題として片付けられてきました。それってでも、生活習慣病で小指が壊死しそうになっている時に、末端である小指だけを一生懸命さすっているようなものですよね。
本当に治したいと思ったら、体全体の生活習慣を変えていく以外にないはず。そのように考えて、ぼくの意識は日本社会全体に向くようになっていきました。
いまある地方活性の話はすべて、地方が都市のお荷物であるかのように扱って、都市のお金を使ってどう活性化させるかという議論になっている。でも、日本全体の直面している人口減少の問題に目を向けてみると、産み、育てづらい都市はまったく人口増に貢献していないんですよね。
出生率の高い田舎がたくさんの人を送り込んで、都市は初めて成り立っている。その意味で都市は、農民1万人の上に成立している貴族の生活のようなものなんです。
よく分かります。でも、それと今回の大学の構想はどうつながるんでしょうか?
人口減少のペースは速いから、このままだと小指だけには止まらず、問題は心臓や脳にまで達することになります。人口増加を前提としたこれまで通りのシステムでは、立ちいかなくなるのは明らかです。だから人口減少を前提とした、まったく新しい社会システムを作ることが求められている。
でもその際に、日本のこれまでの教育を受けてきた人の多くは、既存のレールに乗ることには長けていても、新しく何かを作ることが苦手です。だって、何か新しい物事を自ら作り出した経験自体がほとんどないから。
ぼくが「プロジェクト中心の学びを」と言っているのは、そのためでもあるんです。地域で自らプロジェクトを立ち上げ、人を巻き込みながら「やってみて」学ぶ。そのことによって、ルールは自分たちで変えられる、新しい未来は自分たちで作れるんだという体感値を持っている人を増やすことが必要なんじゃないかって。
「プロジェクト型の学びの場を」というのは、個人が自分の居場所を見つけるためであり、一方では人口減少という日本社会全体の問題への解決策でもあるというわけですね。
「人口問題フェチ」を自称するぼくからすると、その意味で2025年というのが重要なポイントになると思っていて。
2025年には、日本の中でも一番人口ボリュームの大きい「団塊の世代」が75歳になります。75歳というのは、「後期高齢者」と呼ばれ、適用される医療保険の制度が変わる年齢です。
なぜそういう括りになるかと言えば、75歳が肉体の平均寿命とされているからです。
つまり、普通の人が普通に生きていると、自分で自分の面倒を見れなくなるのが75歳ということ。もちろん突然そうなるわけではないでしょうが、でも大枠では、団塊の世代の半分以上の人が、この年を境に突然ではないにせよ、自分で自分の面倒を見れなくなる。
するとどうなるか。ぼくは大きく2つの影響が出ると考えています。
一つは、これまで地域の一次産業を支えてくれていた最後の層がごそっといなくなる。それにより、地域の魅力や、生活の基盤そのものが揺らぎかねない問題。もう一つは、日本全体の社会保障制度、年金だったり、扶養家族をどう養っていくのかという問題だったりが、待ったなしになるのがこのタイミングだと思っています。
高齢者1人を何人の生産年齢人口で支えるかを示す「扶養係数」という数字がありますが、1940年代は12:1、70年代は9:1で支えればよかったところが、いまでは2.3:1にまでなっています。
親世代は「自分だって若いころに親を支えてきたんだから、いまの若者だってそうして当然」と言うかもしれないですけど、その負担はすでに、50年代の3倍くらいになっているんです。
これが2050年ごろになると、1.3:1にまでなると言われています。つまり、平均的な家族のイメージは、夫婦2人に対して要介護者が2人いて、同時に1人の子供を育て、なおかつ生産までして国を支えるというものになる。
いまのままのシステムではどう考えても成り立たない。
社会の仕組み自体を2025年までに変えるのは、おそらく無理でしょう。だったらせめて、「それを担えるだけの体感値を持っている人を育てる」ための仕組みくらいは作っておかなくては。
「大学を作る」というと、目の前に困っている人がいる医療や貧困の問題と比べて、緊急性が感じられないという人もいるかもしれません。でも、2025年までにはもう7年しか残されていない。いまのうちにタネを植えておかなければ、実を収穫することなんてできないんですよ。
学びの場としての地域、そして旅の持つ可能性
ところで、学びの形がプロジェクト型でありさえすれば、場所は都会だって構わないのではないですか? なぜ「地域」で学ぶのでしょうか。
まず、都市と田舎とでは余白量が違うと思っていて。
かつては田舎の暮らしを息苦しいと思った若者が、逃げ場を求めて都会へと流出する構図だったと思うんですが、いまや都会の方が人口が飽和しきっていて、規制も厳しく、息苦しくなっている。
ぼくは昨年まで、東京の武蔵野大学でプロジェクトラーニングの授業を受け持っていたのですが、そこで実感したのは、都会には学生がプロジェクトのために自由に使えるスペースもリソースもほとんどないという事実でした。地価が高く、お金を持っている人のために最適化された都会では、お金を持たない学生ができることがすごく限られているんです。
その点、田舎にはスペースが結構ある。軽トラを運転して隅々まで行けるし、知り合いの農家さんからタダで野菜がもらえたりもする。
例えば北九州の学生に、農家さんからキズモノの野菜をサルベージして回り、調理場を借りてそれをスイーツに加工し、20店舗に卸す、みたいな面白い動きをしている子たちがいます。
でもこれと同じことを都会でやろうと思っても、おそらくできないですよね。調理場を借りようと思っても高くて借りられないし、「失敗してもいいからやってみたら?」という意味での余白も都会にはない。
ではもう一つ、地域を「旅する」ことの意味というのは?
そもそも社会はどのようにしてできているのかとか、働くとはどういうことかと考える上では、営みの部分に触れることがすごく大事だと思っていて。
そういう意味では、山の町に行けば山の暮らしがあるし、海の町に行けば海の暮らしがある。山のことをやっている人と海のことをやっている人では、世界観からしてまったく違うんですよね。
先日、弘前に行く機会があったのですが、弘前は人口17万人の都市。田舎とひとくちに言っても、17万人の都市と2300人の町とでは、やれることのスケールも、プロジェクトが進むスピードも違います。
一番重要なのは、そうやってさまざまな営みの形を目にすることで、何か一つの正解があるわけじゃないと知ることだと思っています。
合っているも間違っているもない。あるのは自分にとっての理想の働き方は何か、作りたい未来は何かということだけ。そうやって思考の柔軟性を上げることができるというのは、旅をしながら学ぶことのいい面だと思うんです。
確かに、転職したことのない人は自社の常識をまるで世間の常識かのように思い込んでしまう。一箇所に止まっていたのではなかなか気づきにくいことかもしれません。
ただ、ずっと旅をしているだけだと、滞在する1年間でできるぶんくらいしか、その土地のことは分からないとも言えます。
「農業を15年やっている」と聞くと、都会の感覚からすればベテランのように思えるけれど、農家さん本人に言わせれば「まだまだだよ。だって15回しかやってないんだから」となる。林業に至っては1回サイクルが回るのに50年はかかるから、1年いたくらいでは何も分からないわけです。
でも、田舎には「徳は三代続く」という言葉のリアリティがいまでもあると感じます。例えば、ぼくが島でお世話になっている牡蠣の養殖会社の社長さんがいるんですが、ぼくはその人にはいつも奢られっぱなしで、まったく恩を返せていません。
けれども10年20年のサイクルで物事を考える田舎では、その人の子供にだったら恩を返せる。その人の子供が「何かをやりたい」と言ったとしたら、いま社長さんにお世話になっている奴ら全員が、全力でサポートする。田舎にはそういうところがあるんです。
都会の企業が考える中期経営計画って、せいぜい3年。長期だって5年くらいじゃないですか。でも、島でいう中期はたぶん10年くらいのスパンだし、森をやっている地域なら自然と50年100年で物事を考える。
結局、人というのは現金なものだから、「この人に喜ばれたい」と思ったら頑張れるところがあるはずなんです。地域をめぐることでそういう人と知り合えるというのは、すごくいいことなんじゃないかと思うんですよね。
やり抜く力の源泉は未来との接続性にある
カリキュラムは現時点でどんなものをイメージしているんですか?
アイデアはあるといえばあるし、白紙といえば白紙です。地域の課題から始まるプロジェクトでも、逆に自分自身の好きから始まるプロジェクトでもいいと思うんですけど。
いずれにしても、「自分は何がしたいのか」というところから喋れるというのは、ベーシックに大事なことだと思っています。日本人の多くは、この訓練が足りていないと思うので。
それこそ都会で働いている人の中には、「人のためにと思ってやってきたけど、結局なんのためにやっているのか分からなくなった」という感じで疲れ切っている人も多い。
「誰かのために」「社会のために」というのはもちろん大事な視点ではあるけれど、結局自分の仕事というのは、自分自身の見たい未来と、自分がいま感じていることとの間にあるものだと思います。
一方で、自分のしたいことがすぐに見つかるものでもなく、他者の都合にお構いなしにプロジェクトは進められるわけではありません。
まずは相手の役に立つことや、身の回りのチームや地域の中で、どんな風に自分は人を喜ばせることができるか、という課題にひとつずつ取り組んでいくことで、相手と等身大の信頼関係を築いていくのも大切です。この目の前の人やチームにちゃんと向き合うことと、自身と向き合うことは共創のための両輪だと思うので、そのバランスをうまくとることのできる学びの形を模索したいと思います。
自分が行きたい未来とつながっていない仕事は、売り上げが落ちたら終わり。でも、行きたい未来とつながっている仕事であれば、失敗したってそれを学びに転換して、「どうすれば次はここへ行けるだろうか」と自然と考える。だから失敗という概念自体がなくなる。すべては経験になるんです。
いま「GRID=やり抜く力」などと言われていますが、やり抜く力の源泉は自分にだけ、未来との接続性にだけあると思っています。それがなかったら、やっぱりなかなか頑張れないんじゃないかな。逆にいえば、たとえ石を磨いているだけの仕事であっても、それがオリンピックの水切り競技に使われる石になると思えば頑張れるじゃないですか。
では最後に、「さとのば大学」にはどんな人に来てほしいと考えていますか?
自分で自分の人生を切り開きたいと思っている人であれば、誰でも。社会人であるとか学生であるとかは関係ないです。それに気づくタイミングは人それぞれだと思うから。
これからは雇用されて生きていくというのも減っていくだろうし、これまでのシステムに乗っているだけではうまくいかなくなるという中で、「どうやって自分自身で、仲間とともに欲しい未来を作っていくか」というのが問いになっている人であれば、どなたでもいいと思っています。
そのことに気づき始めている、あるいは考えざるを得ない状況に置かれた人は増えてきていると感じます。
スペインやギリシャで起きていることが象徴的ですよね。若年層の失業率が5割を超えていて、「仕事しろ」と言われたところで「じゃあどこへ行けばいいの?」という状況になっている。その結果、いまは起業本がすごく売れるらしいです。もはや自分でやる以外に道がなくなっているから。
でも重要なのは、だからと言って自分だけでやっていても仕方がないということです。欲しい未来を手にするためには、仲間がいるからこそという局面が必ずある。その意味で学びの場というのは、『ドラクエ3』でいうところの「ルイーダの酒場」であるべきと思っているんです。
ルイーダの酒場、ですか。
ルイーダの酒場っていうのは冒険の出発地にあって、これから冒険をともにする仲間を探す場所じゃないですか。学びの場というのもそれと同じで、これから自分が向かおうとするのと同じ方向に冒険したい人を探せる場であればいいんだと思うんです。
もちろんその際には、実際にテスト運用してみたら「向かっている方向は確かに一緒だけど、ちょっと冒険感覚が違ったね」みたいなこともあるはず。でもそれはやりながらでないと分からないことだと思うので。その意味でもプロジェクト型であることが重要になってくるんじゃないかな。
従来の偏差値教育のように、隣にいる奴が自分より頭がいいかどうか、成績がいいか悪いかというのは関係ない。大事なのは、その人と一緒にやることで、自分たちの作りたい未来が作れるかどうか。「さとのば大学」は、そうやってより仲間化していくためのマッチングツールのようなものにしていけたらいいなと思っているんです。
“地域を旅する大学”をつくりたい!!学校法人『さとのば大学』設立準備プロジェクト
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- 内容
- 地域を旅しながら学ぶ4年生大学「さとのば大学」を設立します!正解のわからないこの時代に、「自分として、生きる」力を育む新しい大学を、みんなでつくりましょう。
- プロジェクトURL https://camp-fire.jp/projects/view/71023
☆さとのば大学のクラウドファンディングは8/27まで実施中。支援はこちらから!
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『「いま動かないと手遅れ」2025年までに『旅する大学』が必要な理由』を支援する(polca)
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