コラム

「羊がいれば大丈夫」1万年前の大発見が持続可能な暮らしのカギだった

「今から約1万年前の紀元前8000年ごろ、古代メソポタミアの地で、人類はものすごい発見をしました。それは『羊とともに暮らす』という生き方です」

そう興奮気味に語るのは、京都市北部、北野天満宮近くの静かな住宅街で「原毛屋スピナッツ」を営む本出ますみさん。通称ポンタさんだ。

原毛屋というのは、平たく言えば、刈ったままの羊の毛を丸ごと海外から輸入し、主に手芸目的でそれを求めるお客さんに販売する商売のこと。ポンタさんは日本で数少ないこの原毛屋という仕事を、30年以上にわたって続けてきた。

ポンタさんが「羊とともに暮らす」ことが人類史に残る大発見だと主張するのは、次のような理由からだという。

「羊がいれば、その乳と肉と毛で人類はサバイブすることができる。今から1万年前の人類はそのことを発見したんです。これはつまり、どんなに環境が劣悪だったとしても、羊が食べる草さえあれば人間は生きていけるということ。衣食住のすべてを羊の恵みでまかなうことができるんですよ!」

原毛屋スピナッツの事務所にお邪魔し、ポンタさん直々に「羊とともに暮らす」生き方の素晴らしさをレクチャーしてもらった。

端的に言えばこれは、暮らしの原点を見失った今の僕らの生活は本当に幸せと言えるのかどうか、そのことを羊を通してもう一度考え直そうという話だ。

羊は人間の衣食住のすべてをまかなってくれる

ポンタさんが原毛屋スピナッツを開業したのは1984年。その翌年には羊と羊毛の魅力を広く伝えるべく、情報誌「SPINNUTS」の発行も開始した。スピナッツは「Spin=紡ぎ」と「Nuts=夢中になる」を組み合わせたポンタさんによる造語だ。

以来33年間、年3回の発行を続けてきた雑誌「SPINNUTS」は、来年5月に記念すべき100号を迎える。ポンタさんはそのタイミングに合わせて、過去30年余の活動のエッセンスを凝縮した「羊の本」(仮題)の発行も目指している。現在、クラウドファンディングサイト「CAMPFIRE」で発行資金の支援者を募集中だ。

彼女自身は羊とともに暮らしているわけではないけれども、そのアクティブすぎる足跡は「羊に捧げた人生」と言って差し支えないだろう。

そんなポンタさんだから、羊の魅力を語らせたら止まらないのだが、羊最大の素晴らしさにはまず、前述した「人間の衣食住のすべてをまかなってくれる」ことがあるという。

「羊の毛から糸を紡ぎ、衣類を作ることができます。そして、乳と肉から食を得ることができる。さらに、遊牧民の住居であるゲルも羊毛からできていますし、フンは堆肥や耐熱材にもなります。つまり、遊牧民の生活は衣食住のすべてを羊に支えられて成り立っているんです。私の商売も羊に支えられていますね」

羊の学名「Ovis」はラテン語でもともとは「護る」という意味から来た言葉だそう。人間が羊をオオカミなどの天敵から「守ってきた」ことからそう呼ばれるようになったようだが、「逆に人間の方が羊の恵みによって守られてきた側面もあるのでは」とポンタさんは言う。

人類による羊の家畜化の起源は今から約1万年前の古代メソポタミアあたり(現在のイラクの一部)にあるという。乾燥した厳しい環境でも草さえあれば生きていく羊の姿を見て、人類は「羊がいれば生活し続けられる」ことを発見した。

地球上の大地は必ずしも農耕に適した肥沃な土地ばかりではないけれど、羊とともに暮らす生活なら、羊が食べるおいしい草を求めて移動し続けることで、持続可能になる。このことが人類にもたらした恩恵の大きさは想像力を働かせればすぐにわかるだろう。

「そして人類はここから、羊が食べる草を求めて世界中を移動することになります。北ヨーロッパからイギリスにも渡りましたし、アフリカにも、インドにもモンゴルにも遊牧の考え方は広まっていきました。そして、それぞれの環境に合った羊の品種が各地で発達していくことになるんです」

今こそ遊牧民の「元本キープ」の思想に倣え

「羊とともに生きる」遊牧民の暮らしの中で、ポンタさんが特に強調するのが「元本キープ」の思想だ。持続可能な暮らしの肝はここにある。

品種によっていろいろだそうだが、羊の毛は1年で約10センチ伸びる。これを刈った1頭分の毛をフリースと呼ぶ。僕らは普段、化繊の衣料のことをフリースと呼んでいるけれども、こちらが本来の使われ方だそうだ。

ポンタさんは原毛屋としてフリースを輸入販売しているのだが、これはつまり、羊が死なない限りは毎年決まった量の毛を刈り続けられるということを意味する。だから「元本キープ」ということ。「羊が元本で、羊毛はその利子。毛から糸を紡ぐという恵みは、牛にも豚にも馬にもない、羊ならではの特徴だと思っています」とポンタさんは誇らしげに語る。

「元本キープ」は食に関しても言える。ポンタさんによれば、モンゴルの遊牧民は生まれた羊をできる限り殺さないために、夏は乳製品で食いつなぐ。

もちろん肉も食べるには食べるのだが、その食べ方にポイントがある。乳が出なくなった老羊から肉にする。なおかつそれを干し肉にして、肉うどんにしてふやかして食べられるよう、保存食にしてひと冬食べつなぐ。

「現代の食文化がするような、血や油の滴るような食べ方は基本的にしない」。肉は祭や客人が来た時に食べるというのが遊牧民の食文化の特徴だという。

ポンタさんは、「こうした羊の文化に触れることで、現代の価値観にどっぷり浸かった今の生活を見直すきっかけにしてみては?」と僕らに問いかける。

「テクノロジーのおかげで衣食住なんでも不自由なく手に入る時代になったけれど、その結果として私たちは今、自分たちの着ているものや食べているものが、どこから来ているかもわからないままに消費しています。

大量の衣料や食料が廃棄されていたり、資源を取り尽くして枯渇させてしまうかもしれない問題が起きているのも、原因の一端はそうした生活のあり方にあるのではないでしょうか。羊の恵みには、そうしたあり方とは違う、持続可能な衣食住の知恵や文化がいっぱい詰まっていると思うんです」

現在、羊毛を輸出しているのはイギリスやオーストラリア、ニュージーランドなどの限られた一部の国だけだというが、一方で「羊とともに生きる」人々は中東や東欧、アフリカなどの他の国にもいる。これはつまり、そこから取れる羊毛は市場に出すのではなく、その国に生きる人々の間でのみ使われているということだ。

このことからも、「羊とともに生きる」という暮らしが、「国際商品としてモノを動かすことで世界中を潤そう」という現代資本主義社会のあり方とは、根本からして考え方が違うことがわかるだろう。

消えゆく羊の文化を100年後に残すには?

とはいえポンタさんも、こうした羊の文化の素晴らしさに最初から気付いていたわけではなかった。彼女はもっと衝動的にこの世界に飛び込んだ。

大学卒業後、京都の老舗織物会社で社長秘書をやっていたというポンタさん。社長の蔵書や織物を整理する中で、たまたまインドに興味を持つに至った。

入社3年目のある日、思い立って会社を辞めてインド旅行へ。安チケットのトランジットで立ち寄ったオーストラリアで運命の出会いが待っていた。

「現地に住む知り合いの女性が、毛刈りしたてのフリースを糸車の横にボンと置き、クルクルとその場で糸を紡いでみせたんです。初めてその様子を目にした私は『糸ってこんなふうにして作るんだ!』と衝撃を受けました。

それからほどなくして、2度目にオーストラリアを訪れた際に改めて見たフリースは、キラキラと輝き、本当に美しかった。その時私は原毛屋になると心に決め、その場で3頭分のフリースを買って無謀にも日本に持ち帰ったのです」

ポンタさんがここまで羊にのめり込んでいった根底には、小難しい理屈以上に、羊と手仕事の文化に対する愛がある。しかし、その愛してやまない羊と手仕事の文化が今、風化しつつあることに強い危機感を抱いてもいる。

「羊の頭数は1990年代を境に世界中で減り始めています。また、手仕事の担い手たちの高齢化も進んでいます。このままでは手仕事がなくなってしまうのではないかというのが私の危惧するところです。

でも今ならまだ間に合います。1000年前、2000年前の知恵と文化を理解し、ものを作ることのできる先輩方がいるからです。そうした先輩方と次の世代を担う若者をつなぐのは、私たちの世代の役割なのではないかと思うようになりました」

では、どうすればこうした文化を確実に次の世代へと引き継ぐことができるのか。すぐに思いつくのは、デジタルテクノロジーに託すことだ。ポンタさんもかつてはそう考えていた。ところが、その考えを改めざるを得ない出来事があった。

「きっかけは2010年。以前出版した『はじめての糸紡ぎ』という本が好評で、重版をかけることになったのですが、パソコンのメディアが古すぎて、データが開けないという事件が起きたのです。自分の本なのに自分では開けられないという現実にぶち当たった時、10年、20年と積み上げてきたことが、デジタルだけだと残らないのではないかという危機感が募ってきました」

そこでポンタさんが導き出した答えが、「人・作品・本」の三つに100年後に向けた文化の「種」を宿すという作戦だった。

ポンタさんはまず、2012年、2015年と2度にわたって「ヒツジパレット」という羊毛作品の公募展を主催。このイベントには全国から約2万人が集まり、たくさんの「人と人」が出会い、多くの「作品」が生まれた。

これが作戦の第1弾、第2弾。そこで残すは「本」ということになる。

この日ポンタさんがしていた首飾りは、今から約4000年前のメキシコ南東部、マヤ文明に起源を持つ織り方を再現して作られた織り紐を使ったものだという。

マヤでは技術を口伝でのみ伝承しており、もともと技術を記した書物がなかった。それを今から約50年前に、アメリカ人の織作家が調べて織りの組織を解読し、本にした。さらにそれを見つけた日本人の織研究家と作家が試行錯誤の末、現代に使えるものとして復活させたのが、この織り紐だという。

つまり、マヤ文明の技術が「人・作品・本」の三つすべてを介して、時空を超えて現代の日本に伝わったということ。ポンタさんが意図しているのは、まさにこのようなことだ。

来年5月に予定している「羊の本」(仮題)の出版は、羊と手仕事の文化を100年後に残そうというポンタさんの壮大な計画の、まさに集大成の局面と言えるのだ。

クラウドファンディングだからできる「どこでもドアのような本」

最後に、ポンタさんが今まさに編集作業を進めている「羊の本」が、一体どのような本になるのかということをお伝えしたい。

事務所の机の上には一面、編集途中の原稿が山積みになっていた。許可を得てその一部を覗かせてもらうと、羊の家畜化の歴史や世界における分布、手紡ぎの方法に羊料理のレシピ、現在の日本の羊飼いたちの紹介などなど、羊と羊毛に関するあらゆる情報が詰まった本であることが垣間見えた。

ポンタさんがこの「羊の本」を構想するにあたって意識したのは、1960年代にアメリカの自然回帰のムーブメントに多大な影響を及ぼしたとされる、伝説の出版物「WHOLE EARTH CATALOG(全地球カタログ)」だという。

ポンタさんはこの「カタログ」という言葉に感激したと語る。

「カタログというのは本や道具、材料の紹介が載っていて、どこに行けば仲間がいるのか、そこで何が手に入るのか、どういったことが学べるのか、そうしたことに実際にアクセスできるように導いてくれるものだと思っています。

『羊の本』があらゆるジャンルを網羅しているのはそのためで、読者は自分が関心のある項目から羊の世界に飛び込んでくれればいい。そこから先は、他の項目に興味の幅を広げるのもいいし、一つのジャンルについてより深く知りたいという人のためには、どういう文献や人に当たればいいかという案内も入れたいと考えています」

編集中の「羊の本」はまさにそのようなものとして構成されていた。本人は「そこまではとても」と謙遜するが、「WHOLE WOOL CATALOG(全羊カタログ)」と呼びかえても通用するものが出来上がるのではないだろうか。

30年以上にわたって本の出版に関わってきたポンタさんだが、今回、初めてクラウドファンディングを利用したことによる新たな発見もあったという。

「従来の出版というのは、最初に編集のフェーズがあり、それが一通り終わって本が完成した後に、営業のフェーズがありました。クラウドファンディングではその順番が一部逆になっていますよね。

でもこれは、単に本の完成前からお客さんにアプローチするというだけの意味ではありません。プロジェクトの進捗をブログなどで発信していたら、支援者から質問が寄せられ、そこから生まれた出会いにより、それまで知らなかった情報に行き着くということが実際にあったんですよ。

これまでの出版というものが編集者からの一方的なものだったとすると、クラウドファンディングを使った出版はより双方向的。さまざまな人が薪を一本一本くべてくれているようで、“CAMPFIRE”とは言い得て妙だなと思いました」

こうした発見を受けて、ポンタさんは当初の予定を変更し、一定以上の出資をしてくれた人を紹介するページを巻末に用意することにした。そうすることによって、発行人である自分の独りよがりではなく、羊と羊毛にかけるさまざまな人の熱量が加わることになる。そのことに期待しているのは他ならぬポンタさん自身だ。

「単に新たな知識と出会うだけでなく、そこから羊飼いや紡ぎ手たちとの新たな出会いが生まれるかもしれない。知りたかったこと、会いたかった人とつながれるような、そんな『どこでもドア』のような本にしたいと思っているんです」

写真=岡安いつみ
イラスト=小野一絵

100年後に残す、「羊の本」を作りたい!!
  • 目標金額:
    8,000,000円
  • 内容:
    京都にある原毛屋「スピナッツ」が1985年から発行する雑誌『SPINNUTS』。来年5月に100号を迎えるのに合わせて、過去30年のエッセンスを詰め込んだ「羊の本」を出版します。


※クラウドファンディングにご興味のある方はCAMPFIREにお気軽にご相談ください。プロジェクト掲載希望の方はこちら、資料請求(無料)はこちらから。

すずきあつお

元新聞記者で、現在はフリーのライター/編集者。プロレスとプロレス的なものが好きです。

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