コラム

パロディかと思ったら本気だった!「高知の財布」作者の戦略的すぎる素顔

「COACHや思ったら高知やった」

お笑いコンビのNON STYLE・石田明さんのツイートをきっかけに、SNSで話題を呼んだ「高知の財布」。発売から半年で1万3000個もの売り上げを記録し、テレビでも紹介されるなど、露出を急激に増やしている。

この財布をつくったのは、大阪芸術大学出身のアーティスト・中島匠一(なかじま・しょういち)さん。取材当日は、華奢な身体に不釣り合いともいえる巨大なトランクケースをガラガラとひきずりながら現れた。

「『高知の財布』を見せてください」と言うと、トランクケースのなかに仕舞われていた重厚なジュラルミンケースから、白い手袋をはめて財布を取り出した。数千円の財布にここまでするかというほど、芝居がかった仕草。正直なところ、胡散臭さを感じた。

しかし、その胡散臭さこそ、彼の意図するところだった。

「社会に影響を及ぼすこと自体がアート」だと捉える中島さんが、その哲学に基づいて生み出した作品が「高知の財布」。そして先ほどの「胡散臭さ」もまた、表現活動の一環なのだという。

彼が独自の理論に行き着き、作品としての「高知の財布」が生まれた理由とは? 話を聞いた。

プロフィール
中島匠一
1993年生まれ。高知県で少年期を過ごし、大阪芸術大学でプロデュース論を学んだ。2018年8月にTwitterで「高知の財布」が話題に。多方面で取材を受けるなど注目を集めている。現在は高知県を拠点に「高知の財布」をはじめとするプロダクトの制作・プロデュースを行う。

「胡散臭さ」は計算のうち? ロバート秋山に学んだモノマネ術


取材場所は、中島さんの母校・大阪芸術大学。凱旋講演にやってきた中島さんは、たくさんの作品をスーツケースに詰め込んでいた

中島さんが「高知の財布」をつくろうと思ったきっかけはなんでしょう?

僕のようなどこの馬の骨ともしれない男が、アーティストとしてブランドをつくって、それが世界中に認められたら面白いんじゃないかと思ったんです。

そのためにはどうすればいいか考えた時に、まず思い浮かんだのが「高知県」という自分の出身地でした。愛着がある地元・高知県をプレゼンテーションしたい。そこに「シュール」や「おもしろ」の要素を掛け合わせた入れたものをつくりたいなと。財布のアイデアは自然と思い浮かびました。

「高知の財布」は、中島さんにとって単なる商品ではなく、アート作品なんですよね。どういう意味でアートなんですか?

僕は、社会に影響を及ぼすこと自体がアートだと捉えています。だから「高知の財布」を通して、世の中にイメージを植えつけたかった。

みんなの脳に「高知」のロゴを刻印していくという意味では、「社会彫刻」(※)というアートの一ジャンルだと考えています。

※社会彫刻……現代芸術家ヨーゼフ・ボイスの提唱した概念。人間は誰でも、絵画や音楽などに限らない自分自身の創造性で世のなかに価値をつくることができるという考えのこと

ちなみに、中島さんの「社会彫刻」がかたちになるまでに、影響を受けたアーティストはいますか?

村上隆さんですかね。彼の著作『芸術起業論』は、芸術が経営学によって成り立つ部分もある、ということを教えてくれました。

単純にやりたいだけじゃなくて、社会と自分とを見据えたうえで、どんなものをつくったらリアクションを得ることができるか。そういう問いの設け方や、表現の仕方を村上隆さんから学びました。

村上隆さんもルイ・ヴィトンとコラボレーションして、財布をつくっていますね。

斬新なデザインでありながら、世界的ブランドと公式でコラボレーションしているのが面白いですよね。アートの広げ方として、こんな方法もあるんだと。

僕は、村上さんのようにアーティストは既存のルールを乗り越えて、新しい道を切り開いて行くべきだと思うんですよ。既存の価値観にとらわれずに面白い目線で動いている人が好きで、自分もそうなりたいと思っています。

それでいうと、僕は芸人のロバート秋山さんにも影響を受けています。

意外です。どんなところに惹かれているんですか?

秋山さんが様々なクリエイターに扮して、架空のインタビューを受ける「クリエイターズ・ファイル」というドキュメンタリー調の企画があるんです。そのなかで「トータル・ファッション・アドバイザー・YOKO FUCHIGAMI」というキャラクターが登場します。

架空のキャラクターなのに、実際に限定ショップがオープンするなど、秋山さんの表現が現実世界に拡張している。僕も「YOKO FUCHIGAMI」の服が欲しいと思いましたからね。ファッションビジネスとしても成立していると思うんです。

本当はその職業ではないんだけれど、本気で「それっぽく」してみることで、独自の世界観ができる。「高知の財布」プロジェクトでいえば、僕もまさに、「クリエイターズ・ファイル」と同じことをしているんです。

僕は今、「一流ブランドをやっている実業家」のふりをしています。それは実際はモノマネでしかないんだけど、モノマネをしてみたことで実際の販売がわかったし、製造がわかったし、流通がわかった。ブランドというものが、どういう動きで世の中を動いていくのか身をもってわかったんです。

中島さんが、わざわざ白い手袋をはめて財布をジュラルミンケースから取り出した時、独特の胡散臭さを感じたんです。でも、それは計算の上ということなんですね。

まさにそうです。ジュラルミンケースの仰々しさ、不釣り合いに大きいスーツケース。なんだか、インパクトあるでしょう。それも、実業家っぽさの演出なんです。

「何もないからこそ思いついた」高知の財布

「高知の財布」のアイデアが浮かんだ時点で、財布づくりの経験はなかったわけですよね。製作はどのように進めたんでしょうか?

最初は手作業でした。「高知」というロゴの型を使い、ひとつひとつ既製品の財布にスプレーしてつくっていました。全面印刷や均一な縫製って、専門家ではない自分ができるものではないんですね。

財布ひとつをつくるのに丸1日かかっていましたが、品質は納得できるものではなくて。


「高知の財布」はECショップで発売中。1個4500円〜

工場に頼むという考えはなかったんですか?

もちろんありましたよ。国内の工場をたくさん回ったんですが、そういうところは1000〜2000個を一度に発注しないといけないんです。それに業者の方から「サンプルをつくるね」とか「見積書をつくるね」と言われたのに、何週間待っても音沙汰がないことがよくありました。

僕みたいななんの肩書きもない個人が、工場を相手に仕事するって難しいことなんだなと思いましたね。

現在の工場はどうやって見つけたんでしょう?

香港でバイヤーをしている方から紹介してもらいました。

そのバイヤーの方とはSNSで知り合ったのですが、僕の心意気を買ってくれて、工場との交渉から翻訳、調整、途切れない供給ラインの構築まで、すべて面倒を見てくれたんです。

彼に出会ったことで、「高知の財布」プロジェクトは大きく前進しました。感謝していますね。

捨てる神あれば拾う神ありですね……その工場は、小ロットでも生産が可能だったんですか?

はい。最初は200個だけ発注しました。ところが、その直後、NON STYLE・石田明さんのTwitter投稿で大拡散され、200個は一瞬で売り切れてしまい……。

生産が間に合わなくなったと。

売り切れてしまったのに、財布を欲しいという方が続出して「どうしよう」と途方にくれました。でも、バイヤーの方に相談したら「予約注文を受けろ。注文があった分だけ、責任を持って製造してもらうから」と言ってくださったんですね。

それで予約注文を受け付けたんですが、注文が2000、3000と積み重なっていくうちに、今度は製造費を用意できないことに気づいたんです。

お金よりも「拡散」が目的

数千個分の製造費は相当な額ですよね。どうやってお金を工面したんですか?

その時はクラウドファウンディングをしている時間の余裕もなくて。どうしたかというと、親戚を回って頭を下げて、お金を借りたんです。それでも足りなかったので、最終的には家族全員の生命保険を解約しました。

生命保険を!

集めたお金を工場に渡すと、バイヤーの方は「よくぞリスクを顧みず、お金を集めてきた!」と感激してくれました(笑)。あの時は本当に大変でしたね。

苦労した分だけ売り上げもあったんじゃないですか?

それが目的じゃないんですよね。むしろ実績の方が大事というか。

そもそも「高知の財布」は僕にとって、お金儲けのツールではなくアート作品です。作品を完結させるためには「多くの人が使い、発信されること」が必要だと考えていたので、価格をギリギリまで安く設定していました。

かといって、たとえばUFOキャッチャーで取れるような、つくりの荒い財布にもしたくなかった。ちゃんと使ってもらえるからこそ多くの人の目に触れるものにしたくて。

なので、原価もかなりかかっているんです。「これだけ売れていれば、ウハウハでしょ」って思われるかもしれませんが、そこまでではないんですよ。

なるほど。財布のヒットに、親戚やご家族はどんな反応をされましたか?

親戚の中には「貸したお金はいつ返しても構わない。返せる時に返せばいい」と言ってくれる人もいました。父は「お前が自立してくれて本当に良かった」と喜んでくれて……仕事を辞めました。

え、お父さん、仕事辞めちゃったんですか!?

はい。恥ずかしいことに、僕は大学を卒業したあとも父から仕送りをもらっていたんですね。

でも、僕がこの財布の事業で会社を立ち上げて、しっかり自活できるようになったので、父も安心して勤めていた会社を離れられたんです。以前から「早く辞めたい」と話していたので。

会社は今、高知工科大学に通う弟も手伝ってくれています。その弟と従業員に給料を出せるくらいには事業も軌道に乗っています。


制作に関わる人数が増えたため、現在は財布だけではなくクッションやポーチなど「高知」ブランドのバリエーションも展開している

「高知の財布」が、家族を幸せに導いてくれたということでしょうか。

そうですね。高校生の頃の僕は、不登校で学校に行っていないことを親に隠していました。大阪芸大に入り、アーティストとして活動をはじめた後も、僕のつくる作品は変なものばかり。親からは「それで生活できるの?」と心配されていました。

自分のやっていることに自信がなかったんですよね。だから、実家に帰るのも嫌で。

でも、これがやりたいと本気で思えることが見つかって、やりきることができた。家族の前で堂々としていられるようになったのはこの財布のおかげですね。

高知の「地元愛」に後押しされて

「高知の財布」のヒットに、高知県民からはどんなリアクションがありましたか?

先日、高知県庁に挨拶に行ったんですけど、その時の待遇がすごかったですね。どの部署に行ってもポジティブな反応で。「お手伝いできることがあったら言ってね」「コラボしましょう」などと言ってもらえて、本当に嬉しかったです。

さらに高知出身の女優で、県の観光大使の島崎和歌子さんとテレビで共演したのですが、番組収録後に島崎さんが、この活動を「観光大使として応援したい」と言ってくれたんです。

実際に「高知の財布」を地元にある「土佐せれくとしょっぷ てんこす」と空港のお店で扱ってくれるよう、観光協会の方に手配してくれました。

観光土産としての販路を開拓しているんですね。

やっぱり、利益は地元・高知に還元したいので。今後は、製造も高知でおこなって名実ともに「高知名産」にしたいんですよね。

「高知の財布」は4500円〜と、お土産としては少し高めの値段設定にも感じます。もちろんクオリティは感じますが、売れている理由はそれだけではないような気もします。

高知県民の地元愛に助けられているところはあるでしょうね。高知の人って、高知愛が強いんです。

県でも「高知県は、ひとつの大家族やき」というキャッチコピーのもとに「高知家」という言葉を使ってプロモーションしています。実際、高知の人は地元のものなら、なんでも推すみたいな雰囲気がありますね。

なので、お土産物としてだけではなく「高知県民として高知の財布を持っておきたい」という思いで購入される方も多いのではないでしょうか。もちろん、全国から発注はいただいています。


より高級感のある質感を求めて、本革のパスケースも手がける。合皮とは違い、しっとりと肌に馴染む上質さがある

中島さん自身も、高知愛が強いんですか?

もちろんです。不登校だった高校生の頃、学校の裏にある筆山のてっぺんに登って、ぼーっと考え事をしたり、植物や虫を見たりしていました。

葦(ヨシ)で船をつくって川に浮かべたり、秘密基地をつくったり。高校生ながら小学生のような遊びをしていたんですけれど、そういうことができたのも、高知が自然豊かで自由な場所だから。思い出深く、大好きな土地です。

「高知の財布」のヒットで得られたもの

Twitterをきっかけにすっかり有名人になった中島さんですが、インターネットを通して有名になりたいという人は世の中にたくさんいますよね。中島さんのなかにも、有名になりたいという願望はありましたか?

いいえ、僕はもともと怖がりなんです。ファミレスで順番を待つとき、ウェイティングリストに別人の名前を書いちゃうくらい、気が小さかった。特にインターネットって、個人情報を調べられたり晒されたりする風潮があるから、余計に怖くて。

でも、フリースクールに通いはじめた頃から、日に日に意識が変わってきましたね。僕は高校の代わりにフリースクールに通っていたんですが、アーティストとしての基礎はそのときにつくられました。

どんな日常を過ごしていたんですか

いつも変なものをつくっていましたね。フリースクールは虐げられたり、差別された気持ちが分かっている人たちが集まる場所で、居心地が良く、僕ものびのびとしていられたんでしょう。

たとえば、ゴミ捨て場から拾ってきた扇風機を改造して、電源入れるとシャボン玉がブワーっと出てくる装置をつくったりとかしていましたね。その様子を見ていた先生から「大阪芸大に行くべきだ」と言われたんです。

フリースクールの先生は、僕に自己肯定感の育て方や「夢を口にすること」の大切さなど、いろんなことを教えてくれました。あのときの学びをきっかけに立ち直ることができたからこそ、今の活動があると思います。

そして「高知の財布」をきっかけに、目指していたアーティストとしての実績を得たんですね。

そうですね。これまで僕は、決まり切った線路の上を歩かずに生きてきて、誰かから評価されるようなことは一切なかった。でも、僕は「高知の財布」を通じて、自分のような素人でも、ものづくりができて、世の中から「いいね」という声をもらえるとわかりました。

中島さんのこれからの活動が楽しみです。

ありがとうございます。このノウハウをもとに、高知県に若手アーティストのための、ものづくりの拠点を設けたいと考えています。経験がない人も制作できて市場で挑戦ができる、そういった流れを高知県につくれたらなと思っています。

あと、ブランド「高知」の世界展開も狙っています。世界展開にあたっては「高知」の漢字を読んでもらう必要はなく、デザインとして印象に残ればそれでいい。

よく目にするブランドなんだけど、実は世界規模で売れている。そして僕が思いもしなかったような場所で「高知の財布」が普段使いされている、という状況を生み出していきたいですね。

一発屋にはなりたくありません。これからもアーティストとして新たな話題づくりに挑戦していきます。

☆「高知」ブランド 公式オンラインショップ  https://kochi.fashionstore.jp/

区切り線

☆この記事が気に入ったら、polcaから支援してみませんか? 集まった金額は、皆さまからの応援の気持ちとしてライターへ還元させていただきます。
『パロディかと思ったら本気だった!「高知の財布」作者の戦略的すぎる素顔』の記事を支援する(polca)

木薮愛

1989年生まれ。エディター&ライター。『美術手帖』の編集者を経て、京都でフリーランスに。京都を中心に、各地のカルチャーイベントやグルメスポットを取材。アートフェスティバルの広報もつとめる。

同じカテゴリーの記事

more

同じタグの一覧

more