コラム

家業を守れ! 下町『煎餅ブラザーズ』が起こした、崖っぷちからの逆転劇

東京都江戸川区船堀。下町情緒の漂う街で、1960年から煎餅を焼き続けてきた笠原製菓。小規模ながら大手菓子メーカーのOEMとして、着実に実績を積み重ねてきました。

しかし、リーマンショックによるデフレや東日本大震災による原料費の高騰を受け、業績は低迷。景気の影響を受け、取引を終えるメーカーもありました。拍車をかけるように3代目社長が体調不良で療養。笠原製菓はまさに崖っぷちの状況だったのです。

「兄貴、家業がヤバいんだけど……」

工場長として煎餅づくりを一手に担っていたのは、3代目の甥であり、2代目の実の息子である笠原忠清(ただきよ)さん。彼が相談したのは、別の会社でグラフィックデザイナー/Webデザイナーとして活躍していた兄の健徳(かつのり)さんでした。


左から忠清さん(弟)、健徳さん(兄)

2014年、実家の危機に立ち上がった二人は、起死回生の手に打って出ます。自ら『煎餅ブラザーズ』と名乗り、オリジナルブランドの商品を次々に開発。すると、瞬く間にヒットを生み、テレビやラジオといったメディアからも引っ張りだこに。ネットショップにも注文が殺到し、商品の到着が注文から1〜2ヶ月かかることもあるほどの人気ぶりです。


『煎餅ブラザーズ』の商品一覧。飛騨山椒、お好み焼き、トリュフ、スモーキーイタリアン、にんにく……と、ユニークな味の煎餅が大人気。ガツンとくる濃いめの味付けが特徴。

笠原製菓を見事に蘇らせた『煎餅ブラザーズ』は一体何を仕掛けたのでしょうか。ガムシャラに戦い続けた彼らの挑戦の日々に迫ります。

『煎餅ブラザーズ』に起死回生を賭けた

ー早速なんですが……『煎餅ブラザーズ』誕生のきっかけを教えてください。


稼業を建て直すにあたって、小売ブランドをつくりたかったんです。

弟が焼いた煎餅を兄貴が売るから『煎餅ブラザーズ』。そんな単純な思いつきです(笑)。

当時、本っ当に経営がギリギリだったんです。会社が来月存続しているかもわからない状況。コストダウンなどの会社のぜい肉を削ぎ落とすことと並行して、筋肉もつけなきゃいけない。そのために、とにかく何かやらなきゃいけない、と。


それまではOEMとして、クライアントの商品だけをつくっていたんです。でも、景気が悪くなったときに、工場設備が他と比較すると見劣りするといった理由で契約を打ち切られてしまって。言うなれば業界の末端だったんですよね。

つくっている側としては、味で評価してもらえないのはガッカリでした。「笠原製菓さんが考案したレシピを他の工場でつくればいい」くらいの軽く扱われている感覚だったので。

同時に、悔しい想いを経験していたからこそ、生き残るためには僕らが変わらないといけないとも感じていましたね。


当初、競合調査みたいなことはやったんですけど、全く意味がなかったですね。むしろ、「なんでこんなのが売れているんだ?」って気持ちになるくらい。外を見ていても何も生まれないから、自分が食べたい味を弟にリクエストして、とにかく自社製品をつくってもらうことから始めました。

弟のつくる煎餅って美味いんですよ。OEMでも高価格帯の商品をつくり続けていたから、腕がいい。友達に配っても評判がいいんです。だから、知ってさえもらえれば人気が出る自信はありました。そして僕がパッケージをデザインして、工場併設の直売所や駅前で販売する。

駅前で売っても、煎餅だと普通は興味をもってもらえないんですよ。でも、パッケージがかっこいいと「これ何?」と手に取ってもらえる。「煎餅です」と答えると、「な〜んだ」ってなるんですが、そこですかさず「煎餅は煎餅でも、めちゃめちゃ美味い煎餅なんで、ぜひ味見してください」と食べてもらう。すると、8〜9割は買ってもらえるんですよ。


だから、僕らとしてはガムシャラに走り続けていただけなんです。何か戦略を立てたかというよりも、とにかく工場直売や駅前でばらまいて、僕らが接客して評価してもらう。手応えがあれば続けて、なければ切り替える。そのサイクルをひたすらに繰り返していました。

ーお兄さんより10年早く入社された弟さんは、『煎餅ブラザーズ』の話を聞いてどう感じたんですか?


特に違和感はなかったですね。煎餅屋の兄弟なので、条件は満たしているし。

昔から兄貴は性格がイケイケで引っ張ってくれるんで、信じて付いていくだけ。僕は性格が正反対で、石橋を叩いて渡るタイプだから、兄貴の危なっかしいところはフォローに回れる。子どもの頃から変わらない関係だけど、バランスがいいと思います。

攻めの兄、守りの弟

ー手応えを感じたのはどのくらいのタイミングだったんですか?


『煎餅ブラザーズ』としての活動が1年過ぎた頃、ルミネ新宿での催事ですね。

平日は工場での直売、週末は駅前の催事……と続けていると、都内の百貨店からも声をかけてもらえるようになったんです。催事界の頂点とも言われる新宿伊勢丹で実績を積むと、いろいろなところからオファーをいただくようになって。ルミネ新宿もそのひとつでした。

催事って1日8時間で一週間の会期が一般的なんですが、ルミネ新宿は1日11時間を10日間のロングタイム、ロングコースで。だからたくさんの方に手に取ってもらえました。


乾燥中の煎餅


「せんべいを、おいしく、かっこよく。」というキャッチコピーが完成したのもこのタイミングです。

最初は「煎餅を日本の銘菓に」、そのあと「煎餅をあなたの銘菓に」と変えていったんですけど、なんかしっくりこなくて。ルミネ新宿での催事の前日くらいにパッと浮かんだのが「せんべいを、おいしく、かっこよく。」でした。

そこで、すぐに横断幕のデザインを組んで、業者さんに特急で発注して、催事の会場に直接届けてもらったんです。


僕は全く知らなかったんですけど、店先で兄貴が「これで行くから」って横断幕を広げて(笑)。出店したのが一番トラフィックがあるエリアだったので最初は恥ずかしかったんですが、お客さんの反応がすごくよくわかるんですよね。「せんべいを?おいしく?かっこよくだって?ウケるーww」みたいな感じなんですけど、見てもらえていることは伝わってきました。


前職で広告の仕事をやってたからわかるんですけど、コピーを読んでくれたら御の字なんですよ。声に出してくれたってことはさらにすごいことなんです。

実際、ルミネ新宿の2ヶ月後くらいに渋谷ヒカリエの催事に出店したときに「ルミネで出してましたよね?」って聞かれたり、1年後くらいにテレビに出たとき「新宿のルミネで見た煎餅屋じゃない?」ってTwitterのつぶやきを見たりして。メディアやバイヤー、ディベロッパーからもルミネ新宿の話をよくされます。そういう意味では大きなターニングポイントでしたね。

ーまさに起死回生だったんですね。


もともと僕は人前で話すのが苦手だったので催事も嫌だったんですけど、苦労した甲斐がありました。


さすがに二人でロングタイム・ロングランの催事を回していると休憩する暇がないから、体がボロボロになってしまうんですよね。弟が倒れたら、煎餅がつくれなくなってしまう。だから、それ以降は催事に売り子さんを雇って弟は工場でせんべいをつくることに専念してもらうようにしました。接客もすごく上手になってたんですけどね(笑)。

ー話を聞いていると、お互いを信頼していることが伝わってきますね。


良くも悪くも、決定事項しか教えてくれませんからね。直前に「こんなことをやるから」と言われて、考える時間を与えてくれない(笑)。


とりあえず何でも器用にこなすんで助かるんです(笑)。

家族経営の規模ならではの”手間暇”が強み

ーネットショップはどういう位置付けなんですか?


遠方の人が催事などにわざわざ足を運ばなくても購入してもらうための手段です。

元々いた会社でECにも携わっていたので当初から展開しようと思っていました。でも、実際の現場に入って2〜3日で”売ること”の難しさに直面して。対面で売れないものがネットで売れるはずがないと思って、後回しにしていたんです。

しかし、テレビをはじめとするメディアに取り上げてもらったおかげで知名度も上がり、軌道に乗ってきたタイミングで遠方の方にも買っていただけるようにネットショップを開設したというわけです。

ーこんなに愛される『煎餅ブラザーズ』の美味しさの秘密って何なんですか?


そうですね……僕としては代々伝わる伝統の味を守っているだけなので、歴史やこだわりですかね。だから「美味しい」って言われるとすごく嬉しいけど、「腕がいいね」と言われると恐縮しちゃう。

初代の祖父、2代目の父、3代目の叔父が50年かけて守り続けてきたものが、今日の美味しさにつながっていると思います。


初代である祖父の写真(左)と2代目である父との写真(右)。


家族経営の規模感だからこそできる手間暇の部分はあると思います。効率性を重視するとカットせざるを得ないような工程にも、僕たちならこだわることができる。

たとえばザラメの煎餅って甘いから苦手な人もいるんですよね。大手菓子メーカーの煎餅は、ザラメをくっつきやすくするために醤油の上に水飴でコーティングしているんです。だから甘みが強い。

でも、僕らは特製の粘り気のある醤油を使って、乾いてしまう前にザラメをふりかけています。甘すぎないので、ザラメが苦手な人にも食べてもらえるんです。

ーありがとうございます。最後に『煎餅ブラザーズ』のこれからについて教えてください。


もっといろんな煎餅をつくりたいです。煎餅を通じた素敵な体験をどんどん提案していきたいと思っています。そういう”攻め”の部分を楽しんでもらいたいですね。


僕は煎餅をつくるしかないんで、兄貴のアイデアをどんどんカタチにしていきたいと思います。無理はせずに。

ー改めて、抜群のコンビネーションですね。これからの『煎餅ブラザーズ』がますます楽しみになりました。ありがとうございました!

区切り線

取材を終えてからいただいた一枚の煎餅。醤油の旨味が濃く、ガツンとくる味わいが印象的でした。苦手だったザラメの煎餅も、甘ったるさは一切なく、醤油の味が強く際立つ逸品。他にはないインパクトのある煎餅だったように思います。

「家族経営の規模感だから、手間暇をかけることができる」は兄・健徳さんの言葉。機械化・効率化の時代だからこそ、ものづくりの本質に立ち返ることが勝機につながるということを強く感じました。

Senbei Brothers
  • 僕たちは東京江戸川区で 「せんべい」 をつくっている兄弟です。「せんべい」 を、おいしく、かっこよく。 創業半世紀の伝統の味に新たな挑戦を盛りこんだ僕らの 「せんべい」 を楽しんで下さい。

田中 嘉人

1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライターとしてキャリアをスタートする。その後、Webメディア編集チームへ異動。CAREER HACKをはじめとするWebメディアの編集・執筆に関わる。2017年5月1日、ライター/編集者として独立。

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