たったひとりでリスクをとり、責任をとり、決断をし続ける人々、「経営者」。
彼らを見ているうちにふと気づいたことがある。
それは、わたしの中にも小さな「経営者」がいるということだ。わたしたちはみんな多かれ少なかれ、自分自身の経営者であり、自分の人生という事業を営んでいる。
世の経営者が会社から逃げられないように、わたしたちもまた、自分の人生からは逃げられない。鎧をかぶってこの平坦な戦場を生きぬかないといけない。わたしが経営者に惹かれるのは、きっとそれが拡大化・社会化された存在だからなのだと思う。
「本日はお忙しい中ありがとうございます」
ホテルのロビーで目が合った瞬間、龍崎さんがそう言って深々と頭を下げた。
本来ならばわたしが言うべき言葉を龍崎さんに先に言われ、慌てて「こちらこそありがとうございます」と頭を下げる。
彼女に会うのはこれで3度目だが、いつもその丁寧さ、物腰の柔らかさに驚く。
そしてそのたびに納得するのだ。
そうだ、龍崎さんは「ホテル」の経営者なんだ、と。
龍崎さんのことを初めて知ったのは、Twitterのタイムラインで見つけたインタビュー記事だったと思う。
「現役東大生にしてホテル経営をしている女の子」
その記事を読んで、すごい人がいるものだな、と思った。
龍崎さんが会社を立ち上げたのは2015年。
彼女が19歳のときだ。
代表取締役にお母さんが、そして龍崎さんご自身は取締役・CCOについて、ホテルのプロデュース・運営を行う、L&Gグローバルビジネスを立ち上げた。
北海道・富良野のペンションから始まり、ここ京都、大阪、北海道の層雲峡、湯河原と、現在までに5拠点でホテルを展開、運営している。
その経歴と「22歳」という年齢の若さには、あまりにもギャップがあって、人の目を惹く。
だけどわたしがさらに龍崎さんに惹かれたのは、そうして集まった注目に対しても彼女が物怖じせず、自分の想いやビジョンをしっかりと持ち、着実に行動し、表現していっていることだった。
「若い」
ということは、どういうことなんだろう。
わたしは龍崎さんを見ると考えずにはいられない。
彼女を見ていると、仕事やパーソナリティに、年齢なんて関係ないのかもしれない、と思う。
それと同時に、彼女が現在確実に持っている「若さ」というものの、特別な力についても考える。
「若さ」と「孤独」とは、関係があるものなのだろうか。
龍崎さんにうかがいたいのは、そういうことだった。
取材にうかがったのは昨年の12月下旬だったのだが、そのときはちょうど、彼女がForbes JAPANのWOMEN AWARDでルーキー賞を獲った直後でもあった。
「龍崎さん、受賞おめでとうございます。すごいですね、ルーキー賞」
そう言うと、龍崎さんは恥ずかしそうに手を振って、
「いえいえ、みなさんに支えられたおかげです。私なんてまだ経営者としてめちゃくちゃ未熟なのに、いいのかなって感じで」
と言った。
「未熟だなんて。こんなに実績を残していらっしゃるのに」
そう返すと、龍崎さんは首を振った。
「本当にみなさんのおかげなんです。私自身は全然すごくなくて。普通に失敗するし、落ち込むし、ストレスでニキビ作ったりしますしね」
そう言って、にっこりと笑うのだった。
プロフィール
龍崎翔子
「ホテル作ってる女子大生の会社」に終始したくない
起業してから3年、すでに5つのホテルを作られていますよね。スタッフも60名を超え、急成長した時期だったと思います。今、会社に課題があるとすれば、それは何だと思いますか?
そうですねえ……。ふたつ挙げるとすれば、ひとつは会社の拠点が分かれていることでしょうか。うちの会社は、ホテルと同様全国5か所に施設が離れているので、どうしてもコミュニケーションのスピード感が落ちたり密度が保てなかったりするんです。なるべくコミュニケーションをいっぱいとるように意識してはいるんですけど、それでも25名一緒のオフィスに毎日出勤する会社とは違ってきますよね。その結果、会社の文化というよりも、施設の文化が濃くなって、バラつきが出てしまったりして。それが個人的にはずっと課題だと思っていたんです。
なるほど。
でも、このあいだ社員旅行をしたんですけど、それがめちゃめちゃ良かったんですよ。社員が全員揃った中で、自分が課題に思っていたことをみんなにも考えてもらう時間を持てたんです。その時に社員の皆さんとすり合わせができて、ビジョンが見えてきた。みんなモチベーションを高く持ってくれていて。だから、最近は安心しているんですよね。
それはよかったです。では、もうひとつの課題は何でしょう?
もうひとつの課題は、会社の強みのひとつに「私自身の個性や世界観」が入ってしまっていることだと思っています。「自分の世界観でやりたい」っていう意志が、良くも悪くも強く入ってしまっているんです。だけど、そういった「世界観」っていうのはあくまで属人的なものだから、他の人と共有するのが難しい。かつ、うちは拠点ごとに距離があるので……。その「世界観」をみんなで共有できる仕組を考えないと難しいなって思っていて。
龍崎さんがいなくても、ちゃんと「世界観」を形にできたり、保持できるようにならないといけないということですか。
そうです、そうです。効率的に運営することに関しては、合理的な手法があるから、その能力がある人がいればできることだと思うんです。だけど、世界観をどう育てていくかっていうのは別の話で。ホテルがこれ以上増えたときに、同じ粒度で世界観を作っていけるのかっていうと……そこが属人的になってしまっていたら難しいですよね。言葉で伝えにくい抽象的なトピックを会社のサービスの強みにしているからこそ、そこはすごく難しいところだなあって。
なるほど。
そして、そこが属人的になると、L&Gグローバルビジネスが「龍崎の会社」ってなっちゃうんです。実はそこがいちばんネックなんですよね。もちろん、それがいいように働くこともあると思うんですよ。龍崎っていうキャラクターがいるから共感してもらえたり、興味を持ってもらえたりすることもあると思うんですけど、会社のブランドイメージまで属人的になってしまうのはすごくもったいない。うちの会社が「ホテル作ってる女子大生の会社だよ」っていうイメージだけが強くなってしまうのはもったいないなって思うんです。だから、功罪表裏だなあって。
はい、はい。
だけど、本来、私のキャラクターと会社のキャラクターは別人格なんですよね。よく、「友達と一緒に起業したんですか」「女性が多いんですか」と聞かれるけれど、実際は全然そんなことなくて。もともと知り合いだったスタッフはほとんどいないし、大きな企業で勤めていた人が転職してくることもあるし、実は男性ばかりだし。私の趣味嗜好と会社の趣味嗜好も若干異なりますしね。だから今は、社員の皆さんが自分の勤めている会社名を言ったときに、「ああ、あの会社で働いているんだ」って思ってもらえるような会社を作っていくことを目指しています。
龍崎さんと話をしながら、彼女があるインタビューで、こんなことをおっしゃっていたのを思い出した。
「昔はメディアに出るのに抵抗があって、自分とホテルを切り離したいと思ってたんです。でも最近は、せっかくストーリー消費が行われている時代ですから、私やチームのメンバーなど、ホテルの作り手という一番ストーリーのある存在を見せていきたいと思っています」
「ストーリーのある存在」として、龍崎さんは一際異彩を放っている。
彼女が「ホテルの経営者になりたい」という夢を持つきっかけとなったのは、なんと小2の夏。
両親とのアメリカ旅行で、ホテルの部屋がどれも似たり寄ったりであることに疑問を持ち、将来は自分でホテルを作りたいと思うようになった。
そして少しでもレベルの高い環境に身を置こうと東京大学に入り、在学中、19歳で母親と起業。以降、続々とホテルをプロデュースし、今もなお邁進し続けている……。
そんなサクセスストーリーの主人公として、龍崎さんは注目を浴びた。
「ホテルを作っている女子大生」
彼女が手がけたホテルよりも先に、そのキーワードで「龍崎翔子」を知った人もたくさんいるだろう。
かく言うわたしも、そのうちのひとりだ。
そのキーワードは人々の注目を龍崎さんへ集める働きをしたが、もしかしたらそれはある意味で、不本意なことだったのかもしれないな、と思った。
なぜなら、龍崎さんが注目してほしかったのは、彼女の「若さ」ではなく「ホテル」だから。
彼女がつくったホテルの一室で、自分よりも10個年下の龍崎さんと向き合いながら、そんなことを思った。
とにかくキャッチーな「龍崎翔子」を一人歩きさせたくなかった
取材をずっと断っていたのを、ある時期に受けるほうへと切り替えられたと聞きました。それはやっぱり、「ストーリー性を消費する」という時代性を意識した結果なのでしょうか?
もちろんそういう側面もあったんですけど、実は「まだ自分が納得できるホテルができていない」っていうのが理由としてはあったんですよね。
えっ、そうなんですか。
富良野と京都にホテルを作った初期の頃から、かなり取材のご依頼はいただいていたんです。でも、ひたすら断っていたんですよ。「まだ自分の納得できるホテルが作れているわけではないので、また時期が来たときにぜひ」って。その後、3店舗目にHOTEL SHE,OSAKAを作ったときに、やっと「なぜこれを作ったか」を確信持って言えるなって思えるようになって。そこから、取材を受け始めたんです。
ああ、そうだったんですか。19歳で起業して、富良野と京都にホテルを立ち上げたという事実だけを見ても、十分すごいと思うんですが……。ご自身はまだまだだっていう気持ちがあったんですね。
そうですね。と言うのももう……、とにかくキャッチーなんですよ、私(笑)。京都出身で、東大生で、女の子で、19歳で起業して……そのファクトを並べるだけでも見出しに引きがあるじゃないですか。それが一人歩きするのを、どうしても避けたかったんです。正直言ってそれで取材されても、まだがっかりされちゃうだけだなって思って。自分にとってはまだ100パー納得のいくものじゃなかったから。
だけどHOTEL SHE, OSAKAができて、やっと「大丈夫だ」と。
そうなんです。そのときには自分の中でホテル作りについての考えが深まって、良いデザイナーさんとも仕事できて。また、スタッフもHOTEL SHE, KYOTOで鍛えられた実力者たちだったので、「コンセプト・箱・サービス」が三位一体になったホテルを作ることができたと思ったんです。
あと、これは初期からずっと思っていたことなんですが、私ひとりが頑張っているのではなくて、それと同じくらい社員の皆さんが奮闘してくれていて、家族がサポートしてくれて、社外の方も友達もすごく応援してくれているんですよね。本当にいつも「ありがとうございます!」って感じで……自分がこの仕事で活躍できているのは、いろんな方からのサポートを受けているからなんです。だけどやっぱり見え方としては、私が前に出させてもらっているので、どうしても「龍崎がすごい」ってなってしまうんですね。
はい、はい。
でも私は決して超人ではなくて、ポンコツなところもそれなりにあるんですよ(笑)。今の道に進んでいなかったら、仕事できなくて上司に怒られまくっているみたいな、そういう可能性も絶対にあったので。だから、自分が前に出ることに、嬉しい反面申し訳なさみたいなのもあって。そして、それに慣れてしまうことがまたこわいなと。
ああ……、もしかしたら、それが一番こわいことかもしれないですね。
それで、自分が傲慢になってしまうのがこわいんです。もちろん、私の実力の部分もあるとは思うんですが、私のやっていることの基本にあるのは、一緒に仕事をしている人や、応援してくれている人のおかげなんですよね。それは忘れてはいけないなって思います。
「翔子だったら世界一の経営者になれるよ」
会社の代表取締役はお母様ということですが、龍崎さんとお母様は、どのように役割分担をされているんですか?
母は経営管理を担当しています。メインは、在籍している人とお金の管理ですね。私は、経営企画を担当しています。会社としてどう進むべきか、発展すべきかを考える役目。事業と社会的意義をかけ合わせたときに、会社として追求できる可能性を最大限追っていくのが私のミッションなんです。あとは、採用も私ですね。人事スタッフがセレクトした方に会って、面談する。だから、組織づくり・社風づくりについても、私が担当していることになります。
お母さんと起業するというアイデアは、龍崎さんから出されたんですか。
はい。きっかけは富良野だったんですが、「このホテル、リノベーションしたら経営できるんじゃない?」って。「じゃあ会社にしようよ」「だったらお母さんが代表取締役でいいよね」って。
それで、お母さんは「いいよ」と。
ですです。
ちなみに龍崎さん、ご兄弟は?
ひとりっ子なんです。それもあって、母が一緒にやってくれているっていうのもあると思いますね。ありがたいです。だけどそもそも母は、私がホテルをやりたいって言っていることに、10年くらいずっと反対していたんですよ。本人はずっと教師をやっていたので、娘にも教師になってほしかったみたいなんです。安定しているし、女性としてやりやすい職業だし。でも、私が大学1年生のときに、すごく落ち込んでいた時期があって。ホテルがやりたくてがんばって大学に入って、勉強のためにいろんなビジネスを手伝っていたんですけど、それがうまくいかなくて……。それで、「やっぱりホテルとか無理だわ」ってネガティブになっていたときがあったんです。もうやだなって。母がその様子を見て、「これまであんなに夢を語っていたのに、どうしてこんなに元気なくなっちゃったの?」って、すごく心配してくれて。
ああ、じゃあ嬉しかったでしょうね。龍崎さんの元気がまた出て。ちなみに起業を決めたとき、お父さんの反応は?
父は昔からずっと応援してくれていたんですよ。「ホテル作りたいってすごくいいね。パパもアイデア出してあげるよ」とか「翔子だったら起業できるんじゃない?」とか言ってくれて。父も教師なんですけどね。うちの家系は教育関係者ばかりなので、商売をしていた人がほとんどいないんです。だから、私は突然変異的な(笑)。
そんな中で、親御さんたちは龍崎さんのことを信じていたんですね。
そうだと思います。それは、すごく親に感謝したいことなんですけど。両親の教育方針として、私の好奇心の芽を摘むようなことはしないようにしていたみたいなんですよ。だから、可能性を制限するような、「お前はこのレベルだから、ここでおさまっとけ」みたいなことは絶対言わなかった。特に父なんかは、「翔子だったら世界一の経営者になれるよ」って、当然のように言ってくれてて。
ああー、すごくいいなあ。
だからと言って、「マッキンゼー行かないとうちの子じゃない」みたいな感じでもなく、「やりたいことで一流になったらいいじゃん」みたいなスタンスだったんです。それが自分の人格形成に影響を与えているなって思います。
だけど、お母さんと実際に会社を立ち上げてから、衝突することはなかったんですか?
それはありますよ。たとえば、この京都のホテルはもうすぐリノベーションするんですけど、そのことでも長い間意見が分かれていました。母はしないほうがいいって言ってたんです。「オープンして2年くらいしか経っていないのに、リニューアルするのは早すぎる」と。一方で、私は開業当初に自分が考えたコンセプトに納得できていなくて、長期的に見ると今リニューアルする方が経営的に大きな意義がある、と考えていました。だから長い間、対話を積み重ねてきましたね。だけど、やっぱりHOTEL SHE,OSAKAが大きかったんです。あのホテルができてから、会社としてかなり変わったんですよ。数字としても出ているけれど、働いている人のモチベーションにも直結していて。
スタッフさんのやる気にも。
ホテルって、「できて当然」の世界なので、クレーム入れられることが多いんですよね。だけど、OSAKAができて変わったのは、「褒められる機会が圧倒的に多くなった」ことだったんです。「サービスが良かった」だけではなくて、単純に箱として「おしゃれ」とか「かわいい」とか「こういう雰囲気好き」とか言われ続けると、スタッフにとってはそれが自信になるんですよね。自信になると誇りになり、誇りがあるとこだわりになって、こだわりがあると世界観がより深まる。それでまた褒められるみたいな、そういういい循環ができてきたのを実感しました。
ああ、それはすばらしいですね。
それを見て母もやっと納得してくれて、KYOTOのリノベーションが決定したんです。そんなふうに、いろんなところで対話を積み重ねてやっていますね。母の独断で決まることもないし、同じくわたしの独断で決めることもないから。
最終的には、ふたりで対話して決めるという。
そうですね。
実のお母さんだから言いやすい、とかはありますか?
うーーん、あまり変わらないかな……社員の皆さんと話すときも、そんな感じですし……。でも、信頼はすごくしていますね。起業のパートナーが「母親」という、お互いのことを深く分かり合え、心から信頼できる人でよかったと思っています。それは、うちのすごい強みかもしれないです。母以外とも、中心メンバー間ではコミュニケーションを密にとっているので、結束の強さは社内の雰囲気にポジティブな影響を与えているかなって思います。政治が全然ないんですよね。社内政治ほどいやなものはないじゃないですか。
経営者・龍崎さんの大きな特徴として、「お母さんと起業している」ということがある。
この話を聞いている間、わたしの視点は完全に「親」視点になっていた。
もしも自分の子供が「ホテルを経営したいから、代表取締役になってほしい」と言ったら、わたしはなんて答えるだろう?
そのときわたしは、個人としての子供の「能力」や、自分に生じる「利害」のみを見るのだろうか。
それともそこには、親子関係ならではの「信頼」のようなものが働くのだろうか。
いずれにせよ、家族の「信頼」が、彼女の「能力」を育てたひとつの大きな要素であることは間違いない。
「翔子だったら世界一の経営者になれるよ」
わたしはその言葉に胸を打たれた。
そう言われ続けて大きくなった彼女が、目の前で「経営者」として笑っているから。
私はラッキーの雪だるま方式に乗っているだけ
心から信頼できる存在がそばにいるというのは大きいですよね。ただだからこそ、「スタッフが辞めてしまうこと」というのは大きなストレスになるんじゃないかと思ったんですが、それはどうでしょうか。
それに関しては、私はそこまでかな……。そもそもそんなに離職率が高くない、というのもあるんですが、最近メンタルセットができてきたんですよ。
メンタルセット。それはどのような?
社員さんが辞めてしまうのも、新陳代謝なんだなって思うようにしたんです。この人が会社で果たすべき役割を終えたからいなくなっちゃったんだって思うと、納得できる。逆にまだ「この会社にあなたは必要やで!」ってときは、対話すると辞めないでくれたりとかするのもわかったので。なるべく対話を試みるようにしていますね。
へえー。これまでインタビューした経営者の方は、スタッフが「辞めます」って言ったら絶対引き止めないっていう答えが多かったんですよ。だから、その答えは新鮮でした。
私は辞めてほしくなかったら、「いや」って言って引き止めます(笑)。
わ、そうなんですね!
なんだろう、会社の雰囲気がそういう感じなのかもしれない。みんな同僚という関係を超えて仲がいいので。だからメンタルセットができているとは言え、やっぱり社員さんにはずっとそばにいてほしいんですよ。なのでちゃんと信頼を積み重ねていけるよう、「きちんと目を合わせる」とか「きちんと体を向けて話す」とか、普段の振る舞いレベルから意識的にコントロールしなきゃとは思ってますね。
なるほど。信頼しているからこそ手が抜けないという。
そうですそうです。そばにいてほしいからこそ、ひとりひとりの人生に誠意を持って向き合うように、いつも心がけています。それで将来社員さんが今を振り返って、「この会社入ってよかったな」と思っていただけるようにしたいと思っているんですよね。
ちなみに、龍崎さんって経営での悩みごとを話せる人というのはいらっしゃいますか?
それはありがたいことにいるんですよ。親とか、友達とか、めっちゃ相談に乗ってくれるし。社員さんも、会社の周りの人とかでも、悩みごととか聞いてくれるし。だから、ひとりで抱え込むことはあまりないですね。人に聞いたら解決することって多いので、すぐ相談するようにしてます。どうしようもないことって、あるじゃないですか。マインドセットが大事なだけだったり、もやもやを吐き出すことだけが大事なことってあるから。それを吐き出したら、もういいやってなるんです。
本音を言える相手がそばにいらっしゃるというのは、すごく大事なことですよね。一方でTwitterでは、3万人以上フォロワーいらっしゃって。そちらでの発言はやっぱり気をつかいますか?
発言は、結構気をつかってますねぇ。たくさんの方にフォローしていただいているので、皆さんにとって生活や人生がちょっと豊かになるきっかけみたいなものを発信していけたらいいなと思っています。とはいえ、あまり肩の力を入れないようにもしていて。基本的に話すことは、自分に関すること、会社に関すること、自分の興味あることのみ。文字通り、自分のひとりごとの延長といった感じで。
全部、基本的に龍崎さんご自身についてのことを。なるほど、そのほうがトラブルが少なさそうです。
そうですね。フォロワーを増やしたり、自分の影響力を高めたり、ということを目的としたSNSマーケティングの観点での運用とは結構違うと思いますが、今のSNSのスタイルは割とこだわってやっています。
龍崎さんの発言は影響力を持っているので、かなり気をつかわれることもあるのかなと思っていたんです。特に同世代の方に対しては。
取材でよく「今、夢が見つからない子たちに喝を入れてください」とか言われることが多いんですけど、「そんなこと言えるわけない」って思うんですよね。「夢が見つかる」こと自体がとてもラッキーなことで、見つからないのは悪いことじゃないんです。ただ出会っていないだけで。それに喝を入れるなんておこがましい。悩んでいる人に追い討ちをかけることはしたくないって思うんですよね。それと同じで「あなたも起業しよう!」っていうメッセージが欲しいっていうのもよく言われるんですが、むやみに人を扇動するようなことはしたくないんです。向き不向きが絶対にあるから、自分を成功例にしてその生き方を強制するのもしたくない。
オピニオン・リーダーになりやすい立ち位置ですけど、そこは避けている……。
そうですね。夢が早い時期に見つかったこと、まわりがサポートしてくれたこと、手伝ってくれる人や興味を持ってくれる人がいたこと。私は全部本当に、ラッキーがラッキーを呼んでる、ラッキーの雪だるま方式に乗っているだけだと思うので。まあ、自分の能力も多少はあるにしても、そこで差があるかというとそんなにないと思うんですよ。ちょっとしたきっかけが人生変えているだけなので、私もめちゃ普通の人間やで……みたいな。
ここまで話してやっとわたしは、龍崎さんの口から「努力」という言葉が出てこないことに気づいた。
会話の中で龍崎さんは「私だけの力ではなく、皆さんのおかげなんです」と繰り返す。
彼女は本気でそう思っている。
信頼してくれる親がいたこと、応援してくれる仲間がいたこと、そういったことすべて、「ラッキー」だったのだと。
だからこそ、彼女は「傲慢になってしまうのがこわいんです」と言うのだろう。
傲慢にならず、その「ラッキー」にきちんと感謝しながら、その「ラッキー」が今後も続くように願いながら、自分ができることは何かを考え、ひたすらそれを実行する。
逆に言えば、与えられた「ラッキー」の分だけ、人はさらに頑張らないといけないのかもしれない。
それもまた、まごうことなき「努力」にちがいない。
だけど彼女は、まるでそれが当然だというような顔で淡々と語るのだった。
家族とやっている限り、孤独ではないかもしれない
龍崎さんは、寂しいって思うことはありますか?
寂しいと思うことは……ないですね。逆です。人ってすばらしい!みたいな。
へえー! 「人ってすばらしい」かあ。
大学に普通に通っているときって、自分がいてもいなくても変わらない、みたいな感じだったんですよ。このサークルから私がいなくなっても何も変わらない、みたいな。私自身、目的もなく浮遊している物体だったから、そんな浮遊している物体と深いつながりを持ってくれる人もいなくって、漠然とした寂しさみたいなのがあったんですね。だけど、今の私には明確なビジョンがあって、そこにコミットもしていて、助けてくれる方が常にいる。「一緒にやろう」「ついていくよ」っていう方が、まわりにたくさんいることに、むしろすごく感動しているんです。だからわたしは、「寂しい」っていう感覚がないんですよね。それに私は、「人に理解されたい」という感覚が強い方ではないので、私から離れた人がいることに気づいていないのかも。それよりも、「今一緒にいてくれる人がこんなにいる!」みたいな。みんな仲の良い職場だし、人の優しさに日々感謝しています。
では、「孤独」を感じることってありますか? その前にまず、「寂しさ」と「孤独」がどう違うのかという問題もあるのですが……。
あ、「孤独」と「寂しさ」の違い……。「孤独」と「寂しさ」を定義するなら、「孤独」は状態で、「寂しさ」は期待値と実際得られているもののギャップですよね。
なるほど。「孤独」は絶対的で、「寂しさ」は相対的、みたいな。
私は人にめっちゃ期待する方ではないので、人が自分の期待値を下回ることってあまりないんですよ。仮に下回ったとしてもそれに鈍感だから、寂しいとは思わない。逆に、すごく良くしていただいているなーって思っています。
だから、さっきもおっしゃっていたように、寂しくない。
はい。では「孤独」についてはどうかというと……。……うーん。やっぱり、もしかしたら本当の意味で「孤独」ではないのかもしれないですね。
へえー! 孤独でもない、ですか。
そうですね。社員の皆さん、私の掲げている理念やビジョンに心から共感して来てくれている方ばかりで、みなさんとてもモチベーションが高いので……。あと、たぶん基本として、家族とやっているっていうのも大きい気がします。もしもひとりで起業してたら、理念やビジョンに共感してもらえなかったときなんかに「誰も私の気持ちをわかってくれない、孤独だな」とか思うこともあるかもしれないんですけど。でも私の場合は、母と立ち上げて今も一緒にやっているから。
家族というのは、ある意味「無条件で龍崎さんを肯定してくれる人」ですよね。
あ! そうですね、そうですね。
相対的な利害関係で成り立っているビジネスの場でも、絶対的に信頼できる方がそばにいると、孤独を感じないってことなのかも……。
ああ、そうかもしれないです。だから私、親子起業ってもっとあってもいいんじゃないかなって思っていて。
親子起業!
よくあるのは、親御さんから事業を継ぐっていう形式だと思うんです。でもうちの場合は、親子で同じスタート地点に立った。私と母、得意分野の違うふたりでチームになってやることに意味があったなって思っていて。親子で起業するメリットっていっぱいあるんですよ。家族のより深い理解に繋がるし、共通の話題もできるし、単純に一緒にいる時間が長くなりますしね。
スタートアップが一緒って大事ですよね。上下関係じゃなくて、フラットな関係。
そうそう。
なるほどなぁ。家族とやっているというのが基本にあるから、「孤独じゃない」。それも、親子起業のメリットなのかもしれないですね。初めてです、この連載で「孤独じゃない」と言い切られたのは。なんだか今、うれしいです。
あはは、よかったです。
最後の質問ですが、龍崎さんは今後、経営者を辞めることはあると思いますか?
経営者の定義が「なんらかの事業やプロジェクトをオーガナイズして、前進させていく人」って定義なら、絶対辞めないだろうと思っています。なぜかって言うと、小さい頃からそういうことをずっとやってきていたんですよ。小学生のときからプロジェクトやイベントを作るのがすごく好きで。クラスと先生を巻き込んで欽ちゃんと香取慎吾の仮装大賞に出たり、毎月家でパーティを開催したり、合唱コンクールで指揮者をやったり、そういうことをずっとやってきてたんですね。
へえー、昔からそういうことを自然とやっていたんですね。
そういう、なんらかのワクワクするプロジェクトを中心になってやってきた。そしてそれらはいつも、誰かに支えられていたんですよね。まわりの人に助けてもらって、支えられて、プロジェクトを実現させる。そういう状態でずっとやってきたので。多分それは性格というか……行動様式のひとつになってるのかなって思うんです。だから、50年後も私はきっと何らかの事業やプロジェクトを経営していると思います。
龍崎さんは以前インタビューで「今後はブライダルや保育という事業にも興味がある」っていうこともおっしゃっていましたよね。そういうふうに、これから先、龍崎さんのライフステージに合わせて事業が展開していくのかなと思っていて。
はい、はい。
それって、これまでやってこられた、家で毎月パーティをするとか、クラスで仮装大賞に出るとかと同じ軸にありますよね。その軸とは何かっていうと、御社のモットーである「日本を3ミリ面白く」っていうこと。今はそのフィールドを「ホテル」にされていますが、龍崎さんの軸は「ホテル」じゃなくてそっちにある。
そうそう、そうなんですよ。自分の行動様式が基本的に、「もっとこうしたらいいじゃん」というのを実現させるってことで。それが今までずっと続いているだけなんです。みんなこういう遊びしかしていないけど、こうしたらもっと面白いんじゃない?って考えるのが、すごく好きだったから。だから、「ホテル」が好きっていうよりは、「膠着しているシーンを面白くする」っていうのが、自分のしたいことなんです。「選択肢の多様性に溢れる社会を作る」というのが私たちの会社の理念なので。
その理念と親和性が高いのが、「ホテル」だった。
ですです。「ホテル」って箱を使えば、より多くのものに対して同じアプローチができるっていうことに気づいたから、ホテルをやっているだけで。
もしL&Gグローバスビジネスの事業がブライダルや保育にうつったとしても、きっと今いらっしゃるスタッフさんもついてきてくれるんじゃないかなぁと思いました。おそらく皆さん、「ホテル」という事業ではなく、その理念についてきてくれているような気がするので。
そうだといいなと思います。今日は私、喋っているうちに全然孤独じゃないことに気づいて、途中でどうしようって思っていたんですけど。
あはは。いえいえ、私自身、今回は母親としてもすごく勉強になりました。どうもありがとうございました。
「孤独じゃない」
そう言い切られたのは、この連載を続ける中で初めてのことだった。
それに対してわたしが感じたのは、シンプルな喜びだった。
孤独じゃないことがありえるんだなと、ひとつの可能性が見つかった気がして。
基本的に「ビジネス」というのは、利害関係の上に成り立っている。
メリットがあれば一緒にいられるし、デメリットしかなくなったら離れるしかない。
つまり条件付きの関係であるということ。
相対的であるがゆえに、不安定であるということ。
そしてもっと言うならば、替えがきく、ということ。
だけどじゃあ、「親子」とか「家族」はどうだろう。
もちろん世の中にはいろいろな「家族」の関係があるが、龍崎さんの「家族」に関して言えば、利害関係を超えた関係が成り立っている。
それは、無条件な信頼関係。
絶対的、つまり、決して替えがきかない関係だ。
「翔子だったら世界一の経営者になれるよ」
幼いころからそう言われ続けて育った龍崎さんの素地は、そんな絶対的な信頼で成り立っている。
だから、孤独じゃない。ひとりじゃない。
自分を無条件に必要としてくれる人、「世界一」だと言ってくれる人が、そばにいるから。
2時間のインタビューが終わり、部屋を出るときにふと思ったのは、
「龍崎さんにとって、会社は『ホテル』的なのかもしれない」
ということだった。
「ホテル」は、旅の中に存在するもうひとつの家だ。
見知らぬ土地にも「ホテル」という家がしっかりとあるからこそ、わたしたちは外に出かけ、さまざまな事件やイベントを果敢に楽しむことができる。
帰る場所、安心して眠れる場所。そして、素の自分でいられる場所。
そういうホームがあるからこそ、人はアウェイへと向かえる。勇敢に、大胆に。
ビジネスというのは、社会へ出ていき、接点を作りだす行為だ。
そこでは絶え間なく利害が生じ、メリット・デメリットでものごとが動いていく。
それでも彼女が「孤独じゃない」と言い切れるのは、ビジネスの中に、変わらない「ホーム」があるからかもしれない。
子供は最初、親と離れることをこわがる。
だけど、親が同じ空間でちゃんと見ていてくれているということがわかると、安心して離れて遊べるようになるらしい。
それを繰り返すうちに、子供は外にひとりで出かけられるようになり、ひとりで他者と関係を築けるようになるのだという。
わたしはその現象を、「ホーム」を内包する、という成長なのだと思っている。
「『若さ』と『孤独』とは、関係があるものなのだろうか」
龍崎さんの魅力である「若さ」とは、「老い」の反対語ではない。
彼女の「若さ」とは、愛やエネルギーを内包した豊かさのことだ。
「孤独じゃない」と言う龍崎さんは、その豊かさを自覚している。
決してその上であぐらをかかないし、ないものねだりをして今あるものをないがしろにすることもない。
今ある豊かさに感謝し、そして大切にしようとしている。
彼女の豊かな土壌からは、今後もさまざまなものが生まれるだろう。
そうわくわくさせるのもまた、「若さ」の持つ美しい力なのだと思う。
取材=京都文鳥社