コラム

経営者の孤独/鷗来堂・柳下恭平「プライベートとパブリックを分けられないことに僕の孤独がある」

たったひとりでリスクをとり、責任をとり、決断をし続ける人々、「経営者」。
彼らを見ているうちにふと気づいたことがある。

それは、わたしの中にも小さな「経営者」がいるということだ。わたしたちはみんな多かれ少なかれ、自分自身の経営者であり、自分の人生という事業を営んでいる。

世の経営者が会社から逃げられないように、わたしたちもまた、自分の人生からは逃げられない。鎧をかぶってこの平坦な戦場を生きぬかないといけない。わたしが経営者に惹かれるのは、きっとそれが拡大化・社会化された存在だからなのだと思う。

柳下さんは、株式会社鷗来堂の経営者だ。

28歳のときに、マンションの一室でひとりで会社を立ち上げた。事業内容は「書籍の校正・校閲」。本に載っている文章のまちがいを探す仕事だ。

数々の出版社の校閲を請け負いながら会社はすくすくと成長し、現在14期目。たったひとりが始めた鷗来堂は、今では60名以上のスタッフを抱えている。

「経営者の孤独」というテーマでのインタビュー連載が決まったとき、まず彼に話を聞こうと思ったのは、個人的な強い興味からである。

わたしと柳下さんが知り合ったのは2年前。第一印象は、「とても陽気な読書家」だった。でもその印象に、のちのち「強靭な」という形容詞が加えられる。彼は柔軟で、粘り強い。2年一緒にいたけれど、弱音を吐いたり、愚痴を言ったり、落ち込んでいるところを見たことがない。

一度言ったことがある。
「柳下さんは、強いね」
すると彼はこう言った。
「トレーニングしているからね」

わたしはその言葉がずっとひっかかっていた。
トレーニングとは何だろう。何のために、どのようなことをしているのだろう。そしてわたしは「そうだ、彼は経営者なのだった」と思い出したのだった。

わたしは彼に、そのことを聞いてみたいと思った。一体彼は普段、どんなことを感じ、どんなことを考えながら、どんな「トレーニング」を行っているのかを。

取材はある初夏の夜、鷗来堂の経営する書店・かもめブックスで行った。
いつもの柳下さんなのに、取材に臨むその顔はやっぱり「鷗来堂の経営者」だった。わたしはインタビュアーとして、やや緊張しながら彼と向かい合う。

閉店後のかもめブックスはしんとしている。そこでたくさんの本に囲まれながら、わたしたちは話を始めた。

プロフィール
柳下恭平
1976年愛知生。さまざまな職種を経験、世界中を放浪したのちに、校閲者に転身する。28歳の時に校正・校閲を専門とする会社、株式会社鷗来堂(おうらいどう)を立ち上げる。2014年末には、神楽坂に書店「かもめブックス」を開店。2017年、出版業・執筆業を行う合同会社文鳥社を設立。東京と京都を行ったり来たりしている。

思想とか哲学を渡すっていうのは二の次

土門

4年前にかもめブックスを開店して、最近では本屋のプロデュースという事業も始めたそうですが、柳下さんは経営者としてそういう大きな決断をするときに、誰かに相談したりするんですか?

柳下

いや、相談ってしないなあ。基本はひとりで考えますね。僕は、良い企画って合議制では出ないと思っているんですよ。「これ楽しいかも」とか「これやるべきかも」っていう誰かひとりの強い思いがある方が、大事だと思ってるんです。

土門

じゃあいつも、ひとりで決めたことを社員に下ろしていくという流れで。

柳下

そうです。会社の規模と時期にもよりますけど、基本はひとりでできることはやっちゃって、それから社員に下ろしていくって感じですね。下ろしたあとで、定着するかどうかはまた別問題というか……「やること」はわかってもらえるけれど、「やる意義」まで浸透するかというとそうでもなかったり。

たとえばかもめブックスは、僕にとっては長期的な会社のブランディングのためにやっているんですけど、そういうのはなかなか伝わらないですよね。

土門

そこで、「何でわかってくれないんだろう」って不満に思ったりは?

柳下

ああ、僕はその辺ドライなのかもしれないな。自分のアイデアが伝わらないことに不満を感じるのは、あまりないですね。

ダイエーの中内功さんの言葉に「売り上げはすべてを癒す」というのがあるんですよ。それは僕もそう思っていて、とにかく「売り上げと粗利を残す」ことのプライオリティーを上げるようにしているんです。研究開発部門だって粗利がないとできない。社長の思いだけではだめなんですよね。ただ、売り上げを伸ばそうという意思にしても、社員にはもう少し因数分解をして渡しています。営業部の売り上げ500万円伸ばそうってなったときに、単に「500万伸ばしてね」って言うんじゃなくて、今こういう売り上げ比率だから、ここで500万をこういうふうに取ってきてね、っていうコマンドを渡すんですね。だから思想とか哲学を渡すっていうのは、二の次です。それよりも、具体的にどう動くかを見せることが大事なような気がします。

土門

思想や哲学を共有するのは諦めている……?

柳下

理想としては、共有したいんですよ。共有できたほうが、じゃあ今後どうしていくかっていうことを自ずと考えられる組織になるので。

でも、何だろう……自分ひとりで立ち上げた会社で、僕はプレイングマネージャーとしてずっと働いていたので、そこにリソースをとれなかったんですよね。だからチームビルディングよりも営業に力を入れていくっていう方法をとったんです。

柳下さんに会社のことを詳しく聞くのは、これが初めてだった。これまで何となく聞けなかったのは、柳下さんのその一面に触れるのがちょっと怖かったからだと思う。

話し始めて、その感覚は正しかったなと思った。目の前にいる経営者としての柳下さんは、やはりいつもより少し怖い。表情はいつものように朗らかなのに、まとう空気に緊張感が走っている。

柳下さんは一度これと集中すると、決して集中を途切らせない。途中で何度か彼のポケットの中でiPhoneが鳴ったが、柳下さんの注意はどこにも逸らされることなく、わたしたちの会話は続いた。

社員のみんなと、多分本当の意味で友達になれない

土門

「売り上げはすべてを癒す」と言えど、ふと寂しい気持ちになったりしないのかな、というのは思うんです。それはあまり、ないですか?

柳下

6〜7年くらい前に、20代の社員と飲みに行ったことがあるんですよ。その子に「柳下さんって何が辛いんですか」って聞かれたんです。

喋っている内にぽろっと本音が出ることってあると思うんですけど、そのとき「君たち社員と本当の意味で友達になれないことが辛いな」って思わず言ってしまったんですね。でもそれは結構本音だな、と思いました。たとえば経営者同士だったら友達になれるんですよ。自分の利益を自分で確保するつもりでいる人同士だと、利害を超えた状態で友達になれる。友達ってね、幼少期のときには「遊ぼうぜ」って言って始まるものじゃないですか。そこに、時間を共有すること以外のメリットを求めていないというか。だからそういう意味では、僕は社員のみんなと多分本当の友達になれないんです。

土門

そこには必ず利害がありますもんね。

柳下

僕、自分が社長になった瞬間のことを覚えていて。

最初、六畳一間のマンションの一室で会社を始めたんですけど、そのときどうしてもコピー機がいるぞってなったんですね。で、調べてみたら300万とか400万とかするんですよ。それでリースを契約したときに、会社の住所と代表印、それから連帯保証人で自分の名前と実印を押したんですね。僕、そんなにデカい買い物って初めてで。しかもそれ、別にプライベートで全然欲しくないんですよ(笑)。車とかならまだしもね。そのハンコを押したときが、僕が社長になった瞬間だったと思います。それからようやく、オフィスの設備はすべて誰かがリスクをとって揃えたものなんだってことが理解できました。それまではコピー機ってただの備品だった。でもあれって、誰かのリスクなんですよね。そういうことは、自分がリスクをとるまではわからないんです。僕は、そのハンコを押したことのある人と話がしたい。それが本当の意味での友達というか。だからと言って社員に「何でわかんないんだよ、コピー機高いんだぜ!」って言いたいとは思わないんですね。知ってもらう必要なんてないですから。だから「君たち社員と本当の意味で友達になれない」って思うし、それが辛いって思うんだろうな。それは結構、根底にあるかもしれないですね。

いちばんの悩み、そしてストレス

土門

柳下さんは、社長をやりながら悩むことってありますか?

柳下

悩み……何だろうなあ。悩みって、判断を保留している状態のような気がするんです。経営者で判断を保留したらアウトな気がするから、そもそも悩まない。悩まないようにしたい。

土門

そう言えば「経営者は決めるのが仕事」って、前に柳下さんから聞いたことがあります。

柳下

そうですね。だから悩んでる状態って、パフォーマンスを下げる気がするんですよ。

でね、悩みって何かって考えると、「自分の力でどうにもできない」っていうファクトが大きいんじゃないかと思うんですよね。自分以外に要素が絡むこと。たとえば「太っているから痩せたい」っていうのは悩みじゃないんです。カロリーのインプットかアウトプットをコントロールすればいいだけだから。

土門

なるほど。答えはわかっていますもんね。

柳下

さらに恋愛でたとえると、「彼氏が欲しい」っていうのも悩みじゃないんです。それは「出会うために動きなさいよ」でいいと思う。でも「この人にどうやったら振り向いてもらえるだろう」っていうのは悩みだと思う。

土門

それは、自分の意思だけではどうにもできないから。

柳下

そうそう。だから悩みの要素として、自分の意思でコントロールできないってことが大きいのだとしたら、経営者はある意味一番そこから遠い存在ではあるんですよ。要は自分で決められることが多いから。

もちろん「売り上げをどうしよう」とかはありますよ。でもそれも、悩むより営業部にコマンドして動いたほうがいい。解決までのスパンが長いっていうのも、進捗管理を細かく行えば解決することですし。

土門

じゃあ、経営者に悩みがあるとしたら……。

柳下

案外、人事かもしれないですね。その原因が自分でどうにかできることならいいですけど、社風や働いている人と合わないとかだと、どうにもできないですからね。強いて言えばそれが悩みかもしれないです。

土門

となると、いちばんストレスを感じるのもそこでしょうか。

柳下

そうですね、やっぱり社員が退職をしたときかな。採用というミスマッチを防ぐためのフィルターを通り抜けたはずなのに、それでも退職や転職を選ぶっていう事実。それはとても悲しい出来事ですが、やはり人の心はコントロールできないし、する必要もない。寂しいけれど、そういうことですよね。

恋愛とか結婚とかと同じで、最初から別れるつもりで付き合う人っていないじゃないですか。だから人が辞めるときは、失恋と同じ状態。しかも、話し合った上での別れ方ではないんですよね。僕と社員では見ているレイヤーが違うので、僕にはどうにもできない理由で退職していく。だから、打つ手立てがないんです。

土門

では、その癒し方は?

柳下

結局失恋は、時間しか癒せないですよね。心がチクチク痛むけど、普段は切り離して仕事をして、時折ふと「ああ残念だったな」て思い出すみたいな。

だって、離婚したけど親権はこっちにあるっていう状態ですから。今いる社員と会社の売り上げが一番大事なので、次のことをやらないといけない。そうしないと、会社自体が傾いてしまうのでね。

土門

落ち込むこともできないんですね。

柳下

悲しいことは悲しいですけど、次の人が入ったときにその人が辞めない環境づくりをしたほうが建設的なんです。

それに、会社から人がいなくなるっていうのは、財務としては単純に固定費が浮くっていうことですから、新しい人を入れることも、事業の集中を別のところに持っていくこともできる時期なんですね。だから人が辞めるときっていうのは、ある意味会社にとってはチャンスでもあるんですよ。

土門

一番辛いときだけど、一番落ち込んでる場合じゃないときでもあるという……。

柳下

そうですね。あのね、僕、変な話なんですけど、自分のお給料をいらないと思うときがあるんです。会社のキャッシュから自分の通帳に振り込むときに、僕自身の貯金がかつかつでも、会社のキャッシュが残ってるほうが大事だって思うことがあるんですよ。

だから公と私が混ざってるっていうのかな。プライベートとパブリックを分けられないことに、僕の孤独があるのかもしれないですね。ひょっとしたら。

土門

ああ……なんだか今、すごく納得しました。

柳下

そういう、僕にとってプライベートとパブリックが不可分なところに、社員のプライベートな意見を持ち込まれると、すごく孤独を感じますね。たとえば、転職ってプライベートじゃないですか。でもこっちはパブリックでもあるから、話す接点がないわけです。だから、彼らを僕は止めることができない。それが、孤独の生まれる瞬間かもしれないですね。

今まで柳下さんとはいろいろな話をしたけれど、会社のことだけでなく、彼の孤独について聞くのもこれが初めてだということに気がついた。

「失恋は時間しか癒せないって言葉が、柳下さんから出るとは思わなかったな」
つい、本音がこぼれる。すると柳下さんはいつもの陽気な笑顔で、
「だって失恋だよ?」
と言った。

それでも、経営者は最大のパフォーマンスで常に進まなくてはいけない。だからこそ、「せめて感情は」と切り離す訓練をしているのだろう。不用意に傷つかないように、落ち込まないように。もし傷ついたとしても、時間にしか癒せないのだと割り切って。

改めて「強いなあ」と思った。そして強くあることは、こんなにも過酷なことなのかと。

ふと、店内を見渡す。たくさんの本がこちらを向き、静かにたたずんでいる。わたしはそれを見て、もう少し話を聞いてみたいと思った。もう少し、希望についての話を。

自分の感情を切り離す訓練

土門

柳下さんって、そういうストレスを吐き出せる場所はあるんですか?

柳下

ふふふ。もしかしたら、その結果がこのぽっちゃりボディかもしれない。

土門

(笑)。誰かに愚痴を言ったりはあまりしない?

柳下

愚痴はあんまり言わないかも。愚痴も悩みと一緒で、パフォーマンスを落とすような気がしていて。もちろん、愚痴を言うことで癒されるタイプもいると思うんですよ。でも僕は、具体的な解決策にリソースをフォーカスするほうが得意。僕にとって愚痴っていうのは、リソースの分散になってしまうような気がしているんですよね。

土門

なるほど、やっぱりパフォーマンスを下げないことが最優先事項なんですね。それくらい社長業がハードだってことだと思うんですけど、心が折れないようにするために、意識していることってありますか?

柳下

僕にとってラッキーなのは、校閲という仕事を通して、自分の感情を切り離す訓練をしてきたことだと思うんですよ。校閲って、ゲラを読みながら「この小説おもしろいな!」って思ったら仕事にならないんですよね。だから日々訓練をして、感情を切り離すことができるようになっているんです。

それは結構、社長業には役に立つことで。たとえば月末に「あれ、キャッシュが入っていない!?」みたいなことがあったとしても、一度クールダウンできる。まあそんなこと、今までなかったんですけど(笑)、仮にそういうことがあっても、落ち着いていられるように訓練はされていると思います。

土門

むやみにアップダウンしないように……。

柳下

うん、だから、すごく悲しい言い方をすると、期待をしないかもしれないです。

日々意識しているのは、「ポジティブシンキングにはネガティブシミューレション、ネガティブシンキングにはポジティブシミュレーションを掛け合わせる」っていうこと。これはかなり大事なことで。

土門

ポジティブとネガティブを、掛け合わせるんですか。

柳下

そう。がっくりくるのって、期待しすぎて期待通りにならなかったときなんですよね。

「期待」って、ポジティブシンキングにポジティブシミュレーションを合わせると生じるものなんですよ。そうすると、うまくいかなかったときにがっかりしてしまうから、ちゃんとネガティブシミュレーションをしておくんです。逆にポジティブシミュレーションをしたいときはネガティブシンキングをしてからにする。というのが多分、孤独とか落ち込むことから、遠ざかる行為だと思うんですよね。

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外に出ると、夜もだいぶ深まっていた。

「気持ちがいいなあ」と柳下さんが大きく空気を吸い込み、わたしはテープを切る。
「話すの嫌じゃなかった? これを社員が読むのかと思うと気が塞いだりしない?」
すると柳下さんは笑って、
「喋ってる時点で覚悟は決まっているしね」
と言った。

プライベートとパブリックが分けられないところに孤独が生まれる、という言葉が、ずっしりとした質量をもって胸のうちに残っている。経営者にとって会社とは、マーブル模様みたいに公と私が混じり合って切り分けられないものなのかもしれない。そして、そうである限り、孤独は常に内包される。

わたしは自分の「公と私が不可分な場所」について考える。経営者ではないわたしにも、その部分は存在する。

わたしにとっては「書く」ことがそうだ。
自分がむき出しになり、社会とゆるく癒着している部分で、辛うじてわたしは書いている。その部分はもっとも光を放っているのに、もっとも柔らかく弱い。わたしはそこで、「公」としても「私」としても話すことができない。だからただ、書くしかない。

柳下さんは、その不可分な場所がある限り、孤独は生まれ続けると言う。

ああ、だからわたしはずっと寂しいのかな、と思った。
だから「経営者の孤独」というテーマに惹かれたのかもしれない。

今日話した柳下さんは公だったのか、私だったのか。
その答えはそのどちらもで、だからこそ矛盾を静かに孕んでいて、危うい。

わたしは目の前の「経営者」をもう一度見る。その矛盾に負けないように、孤独に呑まれないように、「トレーニングしているからね」と笑う経営者を。

夜の街を歩きながら「孤独とは、いったい何なのだろう」と考えた。
わたしはまだ、その言葉をきちんと把握できていない。

だけど、ひとりひとりの内にある「孤独」には、源流のような、あるいは核のようなものが、きっと存在するはずだ。

わたしは今後、時間をかけて、それを模索し続けることになるだろう。
孤独と寄り添い続ける「経営者」の言葉に、耳を澄ませながら。

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土門蘭

1985年広島生。小説家。京都在住。ウェブ制作会社でライター・ディレクターとして勤務後、2017年、出版業・執筆業を行う合同会社文鳥社を設立。インタビュー記事のライティングやコピーライティングなど行う傍ら、小説・短歌等の文芸作品を執筆する。共著に『100年後あなたもわたしもいない日に』(文鳥社刊)。

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