あらゆる場所でコミュニティが生まれては消えていく。
いっけん強固に見える組織があっさりと解散したり、すぐに崩壊してしまいそうな集団がかけがえのない場所となったり、その形は様々だ。
近年では「コミュニティデザイン」という言葉が普及し、様々な取り組みがなされているが、長く続くコミュニティとそうでないコミュニティの違いとはどういうものなのだろうか。
神戸市内で手芸教室を運営する団体「patch-work」の代表・丸井康司さんはコミュニティデザインを行うひとり。「あなたがパッチワークすれば、世界はもっと楽しくなる。」をコンセプトに神戸市内で編み物やパッチワーク教室を開催している。
その中のひとつである「山中グランマの編み物教室」は4年前からスタートしたものだ。
「patch-work」のパッチワーク教室に生徒として訪れた山中眞理子さんの技術と求心力に惹かれ、丸井さんが彼女を講師にした編み物教室を始めることを提案。この教室は始まった。
教室では生徒さんへの指導のほか、生徒さんや丸井さんが提案したものを、山中さん自らが編み物として形にすることもあるのだという。そうして作られた作品は教室の教材となったり、商品として関西の百貨店やECストアで販売されている。
インテリアデザイナーを20年近く務める丸井さんがコミュニティデザインに興味を持つきっかけとなったのは、自分の制作するものへ価値観の揺らぎだったそうだ。
「何がかわいくて、何がかっこいいのか、わからなくなってきていたんです」
そう語る丸井さんは、どのように「山中グランマの編み物教室」を進めていったのか。講師を務める山中さんと共同で制作する作品「おばあちゃんの編みぐるみ」とは?
神戸市内の教室にお邪魔して、二人に話を伺った。
かわいすぎない、程よい温度感を意識する
「patch-work」のプロレスラーの編みぐるみには独特の味がありますよね。かわいいだけじゃないというか。
あえてだらしないフォルムにしてるんですよ。ちょっと憎たらしいくらいの方がかわいいじゃないですか。編み図の段階ではもっとだらしないんですけど、編んだ後で綿を詰めると立体的になるので、ちょっとスマートになってます(笑)。
単純にかわいらしいものを欲しい人のほうが母数は多いと思うんですけど、PWレスラーのだらしなさは完全に僕らの好みですね。
自分で編みぐるみを作りたい人も、味があるデザインのほうが欲しいんじゃないかと思うんです。買ってもらうだけではなく、自分で編み物をしてみようと思ってもらえたらベストなので。
この編みぐるみは丸井さんが企画したんですか?
そうですね。僕はプロレス自体は全然見ないんですけど、プロレス関連のデザインは好きで。例えばメキシコのプロレス「ルチャリブレ」は、マスクのビジュアルが特徴的で、色使いもかわいらしい。編みぐるみにもちょうどいいんじゃないかと。
初めて提案された時は正直、乗り気ではなくて、プロレスラーばかり作らなくちゃいけないのが少し嫌でした…(笑)。「乳首つけるの!?」みたいな。でも、男の人はこれが好きみたいで。
PWレスラーのバッジもあるんですが、胸につけているとよく「なにそれ?」って男の人に聞かれますね。わりと男性受けはいいんです。ちなみにPWレスラーは全員に名前や出身地、必殺技など詳細なプロフィールをつけています。
「オペラ座の怪人」がモチーフのものもあるんですね。面白い……。
PWレスラーのように僕が提案するものもありますし、生徒さんから作りたいもののイラストをもらって、山中さんが編み図に起こして作ってしまうものもありますよ。
友達のお孫さんが描いた絵から、編みぐるみを作ったこともあるんです。元の絵を忠実に再現したから、顔の横から手が出ているものもあって(笑)。
すごい技術力ですね……。丸井さんと山中さんの2人が一緒に制作するきっかけみたいなものはあったんですか?
はい。もともと、僕が主催しているパッチワーク教室に山中さんがいらっしゃったんですよ。
たまたま新聞で見かけたので、覗きに行こうかなと思ったのが始まりだったんです。でも、実はあまりパッチワークに興味があったわけではなくて。
ある時に編み物とパッチワークを組み合わせた自作のバッグを教室へ持っていったら、他の生徒さんが「編み物教えて!」と飛びついてしまったんです。私くらいの年代って、みんな編み物の方が好きなんですよね。
そうなんです。それで、みんなパッチワークより編み物をしたいと言い出して(笑)。そこで山中さんを講師にして、編み物教室を始めることになりました。だから山中さんがパッチワーク教室にたまたま来ることがなければ、この編み物教室はなかったんですよね。
「かわいい」の先に価値を作る必要がある
山中さんは、いつから編み物を?
若い時からずっとやっているので、もう40年くらいになるんですかね。編み物だけじゃなくて、いろんなものを趣味で作っているから、家になんでも材料があるんです。友人に焼き物で大きな犬を作ってあげてみたり。
山中さんは陶芸などもされていたんですよ。
今はもうやってないんですけどね。編み物教室が始まったのも陶芸をやめた一因なのですが、作っているうちに「ガラクタを作ってるんじゃないか」と思うようになってしまったんですよ。
お皿って日常的に使うものだけど、たくさんは人にあげられません。かさばるので自分の家に置いておくにも限度があるし、自分で作ったものを捨てなくちゃいけないのが辛かったんでしょうね。
僕としても、かわいいだけじゃなくて、日常での機能性なども加味して「人にあげたくなるもの」を考える必要があると思うんですよね。
僕は20年近く、インテリアデザイナーをしているんですけど、ある時、何が「かっこいい・かわいい」なのか、よくわからなくなってしまったんです。
ただ「良いもの」だけを求めてものづくりをしていくと、これだけものが溢れて流行が変遷していく中で、美的な価値観の拠り所を徐々に見失ってしまうんです。さらに大量生産品をつくる過程では、端切れなどのたくさんのゴミが出てしまう。それらを見るたびに「何のためにものを作っているのだろうか」と、徐々に違和感が膨らんでいました。
自分の作ったものを誰かに贈ったり、自分の手を使って何かを作ること。そんな風に、これまで自分が歩んできた大量生産とは真逆の道を行きたいなと思ったんです。なぜこれが作られたのか、誰がこれを作ったのか、というところにものとしての価値があるんじゃないかと。
「作られただけの空間」に人は定着しない
実際に教室を始めてみて、お客さんの様子から気づいたことはありましたか?
やっぱり、おばあちゃんって培われた技術が豊富で、僕らも学ぶことが多いんですよ。それに加えて、長い年月を生きているから人間としての懐が深い。だから、年配の方の多い手芸教室は、訪れた人にとって居心地の良い空間になるんです。もちろん、山中さんの人柄もあると思うんですが。
僕たちも今日来てみて、居心地の良さを感じました。
今の受講者は40歳くらいの女性の方が多いんですけど、みなさんが口々におっしゃるのが「月に1回の教室のために頑張れる」ってことなんです。主婦の人たちが外に出るきっかけになっているのが、すごくうれしいですね。そこで次第に、彼女たちが家や仕事から離れるための時間を、手芸などの「ものを作ること」で生むことができないかと思うようになりました。
常に家の中にいて、家事や子供の面倒に追われ続けるのって想像以上にしんどいことだと思います。そんな時は誰かと少し話をするだけでも安心する。
そういう意味では、この手芸教室は家庭や仕事から離れられるサードプレイス的な空間になっていると思います。僕もこういう場所が欲しいなと思うくらい(笑)。
コミュニティが生まれているんですね。
編み物を作るという「こと」があるので、みなさんが継続して来られると思うんですよね。これがただのお茶会の場所なら、長く続かないと思うんです。
たまに「人が集まるような場所」を作りたいと相談されることがあるのですが、カフェやスペースなどの話が多いんです。でも、場づくりは集まることを目的にしすぎてしまうと、継続しない。
そこに制作などの別の目的があれば、理由が発生するので集まることが習慣になるんです。その上で、先生の人柄や制作物のクオリティが関わってくるんですよね。そういう意味では山中さんの力は本当に大きいです。
制作物のクオリティもすごいですよね。
ありがとうございます。みなさん目が肥えているので、ものが良くないと作りたいと思わないでしょうし、わざわざ教室まで来ないと思うんですよね。
たとえば、従来の手芸のイメージって、家でお母さんが作るような素朴なものだと思うんです。でもインテリアの分野において、パッチワークはモダンなデザインのものが多い。
ホテルに置くようなベッドカバーやアートパネルも、実はパッチワークで作られているものが多くあります。それは編み物においても同じことが言えると思うんです。素朴さは魅力かもしれないけれど、もっとデザイン性にこだわることでクオリティを上げることはできる。
実際、「patch-work」の作品も最初の頃より物はよくなってきたのかなと思っています。今では百貨店さんに商品を卸すこともあるのですが、かなり売れるようになりました。
ただ、僕らの目的は作品を売るだけじゃなくて、「作りたいけど、やり方がわからない」人に教室へと来てもらうことです。
山中さんに教えてもらいながら、自分で作る。そしてその作品をまた誰かに贈ることのほうが循環していくのかなと思っています。
些細なきっかけではじめたことが、楽しくなるかもしれません。そのことで違う人生が待ってるかもしれないと思うんです。
この教室を始めてから、丸井さんにいろんなことを無茶振りされるんです。私は手芸を誰かに習ったことはなくて、全部独学なのに……。でもね、わからないからこそできることもあるんですよ。頭でできないと思っていても、言われると「ちょっとやってみようかな」と思うので。
この前、孫にすすめられて、初めてジェットコースターに乗ったんです。乗る前はすごく嫌だったんですが、大声で叫んでみたら怖くないと聞いて、実際にやってみたら本当で。むしろ気持ちよかったんです。
私はもう先が短いから「死ぬまでにしたい20のこと」を考えたりもします。でも私の年になっても、やってみたら楽しいことって意外とたくさんある。
だから何かを始めるときに遅すぎることなんて、ないのかもしれないと思います。
終わりに
多くのコミュニティにおける課題点を尋ねると「『こと』がないと人は継続して集まらないのではないか」と、丸井さんは答えた。
「想い」は形のないものだから、移ろいやすい。そのため、形のないものから始まった共同体は時が経つにつれ、その本質を見失ってしまいがちだ。
しかし「こと」や「もの」は変わらない。その上にのせられた想いが移ろっても、必ずそこにある「土台」はなくなることがない。もし想いがなくなったとしても、行為の理由が残っているからだ。だから、想いの先に残っているものが「こと」や「もの」なのだと思う。
何かを続けるために必要なのは「こと」や「もの」だという示唆は、コミュニティデザインのみならず、様々な領域において活かされるはずだ。
撮影:渋谷美鈴
patch-work
- 神戸の編み物教室「Patch-Work」プロデュースのおばあちゃんの作る心温まる編みぐるみ。人形・雑貨に加えて、編み物キットも販売中。
- https://patchwork.thebase.in/
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