コラム

「5歳児のアート」を生んだクリエイティブ親子の育児ハック術

「5歳児が値段を決める美術館」というサイトがある。このサイトに掲載されているアート作品はすべて作者である5歳の子どもがつくったもの。値段だけでなく、作品名やコメントまですべてその本人が決めている。


5歳児が値付けをしているので、値段設定がおかしいもの(買えないもの)もある

これは株式会社ブルーパドルの代表で、アートディレクター/プランナーの佐藤ねじさん(以下、ねじさん)が、息子の成長に合わせて作り続けている「その年齢でできること×テクノロジー」をテーマにした個人プロジェクトだ。

「息子シリーズ」と名付けられたこのプロジェクトではこれまでに、何を聞いても断言することが多い息子に動画インタビューをする「2歳児が語る、日本の社会問題」や、その息子がiPhoneで撮った写真を無料提供する写真サイト「3歳の写真家」などを発表。

ホームビデオ的な要素と社会的なメッセージを組み合わせるなどしながら、その年ごとの「取れ高」に応じてさまざまな作品を発表している。

「子どもっておもしろい言い間違いをしたりするじゃないですか。でもそれが一度わかってしまうと、以前の状態に戻ることってないんですよね。だからこそ、今その瞬間のおもしろさを切り取り、アーカイブしていくことには価値があると思うんです」(ねじさん)

子どもの成長の不可逆性に着目した「息子シリーズ」は「ライフワークとして淡々とやっていければいい」とねじさんとパートナーの蕗(ふき)さんは考えていたそう。

しかし、最新作となる「5歳児が値段を決める美術館」は、斬新なコンセプトに注目が集まり、公開直後から全国のテレビ局やウェブメディアから取材が殺到。SNSでも広く拡散され、計16作品に買い手がついた(2017年12月現在)。購入者から好意的なコメントも多数寄せられるなど、夫妻の予想を超えて大きな反響があったのだという。

想定外の大ヒットは夫妻と子どもにとって、どのような変化や気付きを与えたのだろうか。「5歳児が値段を決める美術館」のその後について話を聞いた。

大きな反響を受けて思うこと


左から、ねじさん、息子さん(現在5歳)、蕗さん

根岸

ねじさんの「息子シリーズ」はいつもおもしろいなあと思いながら見ていました。特に今回の「5歳児が値段を決める美術館」は爆発的な広がりをみせましたね。

ねじ

うれしい気持ちはあったんですが、淡々とやっていこうと思っていたことなので、こんなに広がるとは、という感じでした。思いのほか売れてしまうから梱包もしないといけないわけで、そういう作業が発生することはこれをつくったときには、実はほとんど予定していなかったんですよ。ただ、それで適当な梱包をして送ってしまったらすべてが台無しになってしまうし、届いた箱を開けて「うれしい」と思ってもらいたいというのもあったので、梱包はおもちゃ作家で手先が器用な妻にお願いしたんです。作品によってサイズや壊れやすさもまちまちなので、送るための箱もひとつずつ展開図をつくって制作したり、絵だったら額にもいれて、届いたものをそのまま飾れるような工夫をして。さらにおまけとして息子の新作を加えたり、メッセージを書いたりもしていたから、妻は結構大変だったんじゃないかな。

根岸

とても手間がかかっているんですね。作品の値段よりも梱包費の方が高くつきそうじゃないですか?

はい。50円の作品を届けるのに、1000円以上梱包費がかかったりして、売れれば売れるほど赤字だったんです(笑)。でもそれでお金儲けをするようなことを考えていたわけではなかったですし、みなさんに楽しんでもらえたならそれでよくて。それに、私は息子と一緒に梱包を考えるのもおもしろかったですから。たとえば、子どもは作品を飾るという考えがないんですよね。送った作品は使って遊ぶものだと思ってる。だから、「すぐに取れるようにしてあげよう!」とか、「お兄ちゃんと戦いたいかもしれないからもうひとつ加えておこう!」なんて気遣いをするんです。そういう発想はなかったからすごく新鮮でした(笑)。

ねじ

ほかにも「すいすいおよぐペンギンさん」という作品が、実は「オオタカ」だったということに気付いて、売れたあとに謝罪文を息子が自分で書いて送ったこともあったよね。アート作品としてはありえないことなんだけど、そういうエラーも含めて成り立つようなものにしたいと思っていたので、結果としてそれをみなさんが受け入れてくれたのはありがたかったですね。

根岸

実際、作品を買ってくれた人たちの反応もすごくよかったんじゃないですか?

ねじ

家に飾ってある様子を写真で送ってくれた人とか、ブログで感想を伝えてくれた人、感謝のメッセージを送ってくれた人もたくさんいました。子どもが自分のお小遣いをはたいて買いたいと言っている、なんて話も聞きましたし、それってとてもいいストーリーですよね。でも、そこで思ったのは、子どもはそうやってほしいものがあるかもしれないけれど、大人は作品自体がほしくて買うっていうのはあまりなかったんだろうなってことで。

ねじ

むしろ大人は、作品を「買う」という体験を通じて、この話題に参加しようとしてくれたんじゃないですかね。作品の一端を担うということにお金を払ってくれたんでしょう。現実に安い作品から売れていったのは、そういうことなんだと思っています。最近はVALUやCASHなどのサービスが登場して、お金の使い方とか、お金そのものの価値といったものについて、再定義が盛んに行われていますよね。そういう時代にあって、お金を作品の素材のひとつとして使ったらどうなるのか、ということには個人的にとても興味があったし、今回の作品を通じて、そうした世間の反応に出会えたことはこれからにつながるいい気付きを与えてくれました。

「無価値」に「価値」を見出す

根岸

作品を買った人の声としては「値段の価値以上の価値があった」というものもありました。価値のなさそうなものに価値をつけて売ったら、設定した価値以上の価値を買い手が感じたというのはおもしろい現象だなあと。というのも、僕自身にも5歳の息子がいるのでわかるのですが、子どもの工作や絵って、家のなかにあふれがちじゃないですか。かぎりなくゴミに近い何かなのに、子どもが作ったということを考えると捨てにくい。そういうものを単純に捨てて消費してしまうのではなくて、そこに価値を与えて、それがほかの人にとっての価値にもなるようにしたというのはすごいことだなと。消費の概念を問うものにもなっているような気がするんです。

うちも保管しきれないからどうしようか、というのはありました。ただ、大人から見ても「これはいいよね」っていうのが結構ありましたし、単純に捨ててしまうのは忍びないという思いもあったんです。そうしたら夫が「そういうのはちゃんとした写真で残しておこう」って言うんです。


佐藤夫妻が特に気に入っているという作品「モア」。値段がおかしいので買えない。

ねじ

いつか何かの素材に使いたいなと思っていたんですよ。というのも、子どもの作品って同じものは二度とつくれないし、捨ててしまって買い戻せるようなものでもないじゃないですか。子どもの作品って、そもそも希少性が高いものなんですよね。そこに価値があるかどうかというのは、それを価値とするかどうかという話だと思っていて。

根岸

なるほど。自分が価値だと思えれば、価値になると。

ねじ

つげ義春の有名な漫画に『無能の人』っていうのがあるんですけど、そのなかでそのへんに落ちている石を拾って売る人の話が出てくるんですね。僕はその話が大好きで、今回の「5歳児が値段を決める美術館」も、実はその「無能の人」的なものに近いんです。それでいうと、フカヒレもそうですよね。フカヒレって今でこそ高級食材ですが、中国ではもともとゴミとして捨てられていた歴史がある。その捨てられていたフカヒレに誰かが価値を見出したことで、それが広がって価値になったわけじゃないですか。アートであっても価値が生まれる構造というのは同じなんじゃないかなと。

根岸

確かに。無名だった画家の作品が死後に評価されて、あとで価値が高まるということもありますね。

ねじ

はい。ただ、それを子どもの工作を素材にして実際にやってみたら、まあ大変だったというのはあって(笑)。息子に一つひとつの作品に値付けをしてもらったり、コメントをもらったり、それを映像で残したりというのは、なかなかの労力でしたね。なにせ全部で90作品もあるので……。

根岸

この動画はとても微笑ましいけど、一つひとつやってたんだろうなあということを想像すると、とてもお疲れさまでしたという気持ちになります(笑)。

ねじ

大人が恣意的な解釈で値付けをしていると思われるのはいやだったので、証拠を残すという意味でもこの動画はつくる必要がありました。ただ、これをやったことで不思議だったのは、息子が適当に値段をつけたものでしかないのに、それがメディアを通じて世に出ると、ちゃんと価値を持ったものになったような気がしたということで。なんか、家のなかで普通に飾っている工作が、世間からの評価を受けるいっぱしの作品になったような、そんな感覚があったんですよ。

そうなんだよね。特に売れた作品は、本当に慎重に扱わないといけないという気持ちにもさせられたというか。絵を額にいれるときに「やばい、これは原画だから気をつけないと……」なんて思ったりして(笑)。

ねじ

うん。あれはおもしろかったなあ。


5000円で買い手がついたオリジナルのポケモン「レアザードンファイ」。蕗さんが家事をしている横で書いていた絵で、売れる以前は気に留めたことがなかったのものだという。

日常をおもしろがること

根岸

こうやって次々と作品が売れていくなかで、息子さん自身にも変化のようなものは見られたんでしょうか?

ねじ

どうなんだろう。とりあえず、オリジナルのポケモンが売れたから、そのシリーズをいっぱい書くようにはなったよね。

うん。あとはこれで反響があったからか、急速に数字を覚えたということもあったなあ。あのときはまだ数字の感覚が曖昧だったから、たとえば9500円が9000500円とかになっちゃっててそれがおもしろかったんだけど。もし同じことを今やっても、わかってるからすごく普通でおもしろくないものになってしまうんじゃないかな。

ねじ

そうだね。そのおもしろかった瞬間が、再現不可能だから価値なんだよね。で、その価値をアーカイブするなら、僕はホームビデオよりも作品にした方がそのアーカイブ性が高まると思っていて。もちろん、作品にするなら単なる親バカにならないようにしなくちゃいけないし、そのバランスには頭を使ったけれど。

根岸

話を聞いていると、そういう作品づくりもみんなで楽しみながらやっているような印象を受けます。それってすごくいいですね。

ねじ

なんでもおもしろがってやることって大事じゃないですか。子育てもそうで、これを教育的な観点から見てくれる人もいるし、理想的な教育方法だと言ってもらうこともあるんですが、僕はこれで教育をしようとは思ってないんです。ただつくることが純粋に楽しいからやっていて。

うん。うちは教育的によく育てようとか、そういうのはないもんね。

ねじ

僕は自分が子どもだったらこんな親が楽しいな、というのをただやっているだけ。長い目で見たときに、こういう価値観のなかで育てることが、クリエイティビティを育てることにつながるかどうかなんてわからないし、そこを考えてもしょうがないですから。まあ、リアルなところだとプログラミングだけはこれからの時代に必要だなと思って教えてるんですよ。ただ、それで息子がつくってくる作品がまたヤバくて(笑)。だって、昔のFlash作品をぶっ壊したようなイカれた世界観なんですよ。「何この感じ!?」って思いながら、妻といつもおもしろがってます。

区切り線
成長記録を作品として残すことでアーカイブ化するねじさんのライフワーク。「無能の人」的アイデアから生まれた「5歳児が値段を決める美術館」は、再現不可能な子どもの「今」を切り取った成長記録であり、私たちの生活のなかにあふれるあらゆる「無価値」を問い直す表現でもあった。

その表現は一方で「価値がなさそうなものに価値を見出す」という「遊び」でもあると感じた。自分が無価値だと思っているものは、はたして本当に価値がないのか。価値がないのだとしたらそこに価値を見出すことはできないのか。そもそも価値とは何であり、自分は何に価値を感じているのか。それを社会に問う「遊び」を、子どもと一緒に楽しみながらやっているような印象を受けたのだ。

大人も子どもも結局は「遊び」が好きなのだ。だから「いい教育」が何かなんてわからなくても、大人にとっても子どもにとっても「いい遊び」ができれば、それでだいたい物事はうまくいきそうな気もするのである。

5歳児が値段を決める美術館
  • 子どもが4歳から5歳にかけて作ってきた作品の一部を「アート」として販売するECサイト。値段はすべて子どもが決めている。

根岸 達朗

「TAOH」という3人組みのバンドをやっています。ギターを弾いて歌ったり、踊ったりします。

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