「夜だけ営業している薬局」を訪ねて
1月某日。
今日は、新宿歌舞伎町で「夜だけ営業している薬局」に伺うことになっている。名前はニュクス薬局。
紹介してくれた知人によると、中沢宏昭さんという薬剤師が2014年に立ち上げ、以来毎晩たった一人で切り盛りしているらしい。新宿駅から向かう場合、かつての新宿コマ劇場のちょうど裏側にその店はある。
ほかの薬局が店じまいを始める頃、ニュクス薬局は開店の準備を始める。開店は夜の20時、それから朝の9時まで、毎日13時間の営業だ。
この日、私は19時50分ごろに店の前に着いた。店の明かりはまだついていない。少し待っていると自転車に乗った中沢さんが20時ギリギリに現れた。あとになって聞いたのだが、ここからすぐ近くに住んでいるという。
中沢さんは、私たちと同じく店の前で彼を待っていた宅配業者から荷物を受け取ったあと、店内から「ヘパリーゼあります」「トノスあります」と書かれた2本ののぼりを店先へと引っ張り出した。そして、私たちを店内に招き入れた。
挨拶もそこそこに、お話を聞かせていただく。すると、1分も経たないうちに、最初のお客さんがやってきた。水商売風の若い女性。どこかの病院でもらった処方箋を中沢さんに手渡す。
営業時間中の取材なので、仕事の邪魔にならないよう、小さなお店の端っこの丸椅子に座って静かにじっと待っていた。
「久しぶり、珍しいね」
「久しぶりです。歯がすごい痛くて、親知らず」
「かなり痛い?痛み止めがマックスの量出てるね」
「寝れないくらい痛くて。でも仕事が忙しいから来週までは抜けなくて」
「まだ抜いてないのか。そっかそっか。その後どう?元気してた?」
「体調は良くなりました!ストレスが減ったから全然違う」
「彼氏とは?」
「もう別れましたよ〜。これまでで一番クズだったね。水商売だとどうしてもヤカラ系とかお客さんとしか出会いがないからな〜」
「そうだよねえ。これまでも色々あったもんね。最初に来てからもう何年も経ってる」
彼女は常連客のようで、中沢さんに色々な話をする。中沢さんが無理矢理聞き出しているということではない。むしろ客のほうから話したがっているような、そんな不思議な距離感だ。
処方された痛み止めを手渡しつつ、中沢さんは彼女に向かってふとこんなことを言った。
「でもさ、久しぶりに顔を見るとちょっと安心するよね。知らないうちにとんでもないことに巻き込まれてたりっていうこともよくあるからさ」
「ははは…そうだよね。じゃ、また」
その後も矢継ぎ早に何人かのお客さんがやってきた。流れが落ち着いて、20時半ごろ、取材が再開した。
歌舞伎町に薬局を開店するまで
歌舞伎町に夜だけ営業する薬局をつくろうと思った経緯を教えてください。
実は以前勤めていた薬局で「銀座に夜間営業の薬局を出そう」というアイデアがあったのですが、人件費やセキュリティの問題でダメになってしまったんですね。
そうだったんですね。
薬剤師を雇うのにはお金がかかります。正社員で私くらいの年代だと40~50万円くらいでしょうか。コンビニや牛丼屋とかも夜間は赤字だと思いますが、それが薬剤師となるとさらにお金がかかってしまいます。
でも、深夜に空いている薬局に対するニーズはきっとあると思ったんです。夜の仕事をしている人たちもたくさんいるわけですから。その考えを元にまずは新宿に引っ越してきたんです。新宿から通える距離にある阿佐ヶ谷の薬局に転職もしました。
そこから8年間の準備期間を経て、独立してニュクス薬局を立ち上げたのが2014年の1月ですね。
なぜ新宿を選んだんですか?
もちろん六本木や渋谷なども考えたのですが、調べてみると新宿は夜間人口がとても多い。名古屋市の人口よりも多いんです。
また、これは私が新宿に住み始めてゴールデン街などで飲み歩く中で気づいたのですが、歌舞伎町の人間は仕事終わりに飲もうとなると外には出ずに歌舞伎町の中で飲むんですね。さらに、六本木や渋谷で働いている水商売系の人たちも自分たちのエリアではなく歌舞伎町に来て飲む場合が多いということもわかってきた。
夜の仕事をする人たちにとって、歌舞伎町は居心地がよいのかもしれませんね。
そうですね。逆に歌舞伎町の人間はよそにあまり出て行きません。歌舞伎町は一つの村のようなもので、その中では「どこそこの誰々さん」という形で大体わかります。
客層はやはり夜の仕事の方達が多いですか。
はい。あくまで感覚ですが女性と男性が7対3くらいで、年齢は20~30代が多いです。昼の仕事の方ももちろん来ますが、そういう方たちは24時までに来ることが多いですね。新宿や渋谷エリアの病院で処方箋をもらって、時間の関係で夜開いている薬局を、ということでうちを見つけて来る人が多いです。
時間帯で言うと、24~26時ごろは少し流れが止まって26時以降にまた増え始めます。キャバクラやホストが風営法で24時までしか営業ができないので、閉店後のミーティングを終えて仕事から上がるのが26時くらいだと聞きました。向かいのラーメン屋さんも同じように26時くらいに並んでいますね。
夜の仕事の人たちは、病院がギリギリ閉まる時間帯で医者にかかったり、深夜2時まで受付をしている近隣のクリニックさんにかかることも多いので、そうすると普通の薬局がもう開いていません。だから、夜の仕事が終わった後にうちの薬局に来るんですね。
中沢さんは完全に昼夜逆転の生活を送っているということですか?
はい、そうです。朝の9時までお店を開けていて、そのあと9時から10時くらいに薬の問屋さんが来ます。その間に自転車で自宅に帰って一度ご飯を食べたり銀行に行ったりします。追加で発注する日は11時の便で薬が届きます。寝るのはだいたい13~14時くらいで起きるのは19時前くらいですね。
私の寝て起きる時間帯とちょうど真逆です…。
休みの日も昼夜逆転のリズムは崩さないのですが、友達と会う予定があったり、飲みに行くときは仕方なくそちら側の都合に合わせたりすることもあります。
ただ話すだけで帰る人もいる
先ほど最初に来たお客さんと色々な話をされていましたね。
オープン当初から来てくれているお客さんで、元カレやらなんやらという話もずっと聞いてきています。
こんなところに夜中だけ開いている薬局がある。そうなると普通の薬局ではまず話さないようなことまで話すようになりますよね。
ここに薬局を作ろうと思ったときからそういう場所になることは想定していました。もちろん精神面に問題を抱えた人が来ることも多いだろうと。
実際、処方箋も持たずにここに来てただ話すだけで帰る人もいます。せっかくだったら笑顔になって帰ってほしい。せっかく来たのに暗い顔のまま帰ってもらってはという気持ちです。
元々、地域の薬局にはそういう役割がありました。地域の人たちが集まって色々なことを相談していた。でも、今は薬局というと処方箋を受けるだけの場所になってしまっています。そこが少しおかしくなっているのかなとも思いますね。
やはり精神面の問題を抱えているお客さんが多いですか。
そうですね。薬を飲んでいるかどうかに関わらず、色々と溜め込んでいる方は多いです。まだ病院に行っていないお客さんに対して、状態によっては信頼している精神系の病院をすすめることもあります。
性風俗で働かれている人が多いのですが、若い子が知らないおじさんを相手にするわけですから、それは病みますよね。キャバクラでもお酒を提供するお仕事とはいえ、下心があって面倒くさい客ももちろんいます。夜の仕事だとうつ病や不眠症になる人が多いです。
まあ、そうですよね…。
今、とても気になっている子が一人います。キャバクラで働いていた子で、最近顔を見せないんです。元々何か病気があったりメンタルを病んでいるというわけでもなくて、うちでキヨーレオピン(滋養強壮剤)をボトルキープして飲んでいたんですね。
しばらく期間が空いた後だったんですが、数ヶ月前、久しぶりに彼氏と一緒にふらりとやってきたんです。すると「仕事を辞めた」と言うんですよ。その時は「良かったね」なんて話をしていたんですが、その二日後に今度は彼女が一人だけでやってきた。
今度は一人で。
その日は明らかに表情がおかしかったんですよ。「どうしたの?」と聞くと「実は彼氏が何かの試験を受けて学校に行こうとしている。けれどもそのお金がない。だから私が出そうとしている。でもお金が足りないから風俗で働くことにしようと思って…」と言うんです。
それを聞いてすぐにどうこうとは言いませんでした。でも、いきなりカウンター越しに私の手をガッと掴んで「私そんなことやったことないんだけど…」と言うんですよ。そこで、これは明らかに「この子はその仕事をやりたくないんだ」ということがわかったので「やめておけ」と。
元々自分からやろうと思って風俗で働いても病む人が多いのに、望まないで働くことはレイプに近い感覚になります。メンタルに過度な負担がかかってしまい、体験入社するだけでも良くない結果になるに違いない。だから「やめておけ」と言いました。
そのあと彼女と色々と話をして、最後には笑顔になって「そうだよね…」と。「また報告に来るね」と言って帰っていったんですが、それからまだ一度も来ていません。心配でとても気になっています。
相談できる人もなかなかいないのでしょうか…。
そうですね。彼氏はもちろん親にも言えない話だったんだろうと思います。
彼氏は本人が風俗で働くのを嫌がっているのを知っているのではないかと思うんですよね。二人で来た日に彼女が「私はキャバクラでも枕営業なんてしたことない」と言っていたのは、彼氏に気付いてほしい、止めてほしい、という気持ちの現れだったのかなぁと。
毎晩同じ場所に同じ人がいる
気にかけているお客さんと連絡先を交換したり、店の外まで出て行って関わるというようなこともあるのでしょうか。
基本的にそれはありません。
実際、連絡先を聞かれることもないですし、そこまで行くとお節介になると思っています。自分が良かれと思っていることが相手にとって良いこととは限らないので。ここに来ている以上は何かを求めて来ている、それは確実です。でも、それ以上のことを相手が求めているかどうかは本人にしかわかりません。
ただ、例えば「今はお客さんがたくさんいて長い時間は話ができない」という状態だったとします。その時に「より空いていることの多い土曜日に店に来てもらって話をする」といったことはあるかもしれません。とはいえ、あくまで特殊なケースです。基本的にはそういったことをしようとは思いません。
なんとも言えない距離感ですね。
そうですね。ただ、歌舞伎町で夜に店を開けていたら薬局じゃなくてもそうなると思います。以前「深夜食堂」に似ていると言われたことがあって観てみたのですが、確かに似ていると思いました。
夜のこの時間帯に毎日開いていて、明かりがついている。
そして毎日同じ人がいる。それが大切です。
誰がやっても同じということでもなく、中沢さんだから色々と話したくなってしまうということもあるのではないでしょうか。
何かしらのサインが出ていたらまずは話を聞きます。ストレートに聞いても言わないのでそこは私の腕次第です。
私は元々、人を区別して話を変えるということがありません。誰に対しても同じ話をします。こちらが警戒して、線引きをして、人によって話を変える。そうすると、多分人間は無意識に気付くんじゃないでしょうか。
あとはそもそもですが、「夜しか開いてない薬局」っておかしいじゃないですか。その段階で「コイツおかしいな」って思ってもらえていると話が早いのかなとは思いますね。
今後もしばらくこの形で続けていくのですか?
どう考えても私、このまま老後までこの時間帯で働き続けることはできないと思います。だから、いつかここを任せられる人は作りたいと思っています。
その方には何を求めますか?
今も「ニュクスで働きたい」という人がたまにいるのですが「歌舞伎町で働くということの意味をわかってる?」という話だと思っています。
まず昼の世界しか知らない人には無理だと思います。想像を絶することが日々起こりますから、夜の世界を含めて色々な人がいるということを経験から知っている人の方がいいですね。ただ、私が完全に離れるとなったら一人で回すのは難しいでしょうから、二人は必要かなと思っています。
任せられる人が出てきたら、中沢さんはどうするのでしょうか?
いつか僻地で薬局をやりたいです。
「僻地」…ですか!?
はい、僻地です。今も少しずつ調べ始めています。
というのも、歌舞伎町に来て思ったのですが、歌舞伎町は僻地に似ている。一つの村のようなもので、「何かあったらみんなこの薬局に来る」ということです。
もちろん今いる夜の街と僻地とでは来る人の種類は違うでしょうが、僻地でもやることは歌舞伎町と同じなんじゃないかと思うんですね。海の近くとか、山の中とかで、おじいちゃんやおばあちゃんがそこに集まってくる。
なるほど、中沢さんの目にはそう見えているんですね…。
ただ僻地に行くときは、現実問題としてそこだけでメシは食えないと思います。ここを誰かに任せて、何かしらの不労所得を得て、それから行くのが良いのかなと今は思っています。
言葉選びが難しいですが、中沢さんはニュクス薬局をあくまで“楽しんで”やっているという感覚なのでしょうか? 色々な自由を削ぎ落としてやっているという感覚はないですか?
何かを削ぎ落としたり犠牲にしているという感覚はありません。私はニュクスを好きでやっているだけであって、嫌であればやめますから。無理してここで働いているわけではありません。好きで勝手にやっていることです。マザーテレサのような崇高なものではないんですね。
どうせ独立してリスクを負うなら、自分がやりたいことをやりたかった。お金がほしいのなら普通に薬局に勤めればお金に困ることはありません。あるいは独立するにしても、開業する医者の情報を調べて、そのそばに薬局を開店するというのが一つのセオリーです。
でもそれではつまらないし自分でやる意味がない。そう思ったんです。
最後に、中沢さんとお客さんとの関係性について改めて聞いてもいいですか。もし言葉にするなら、中沢さんにとってのお客さんとはどういう存在なのでしょう。
どういう存在…難しい質問ですねえ。
(しばし考えて)
そうですね、新宿ゴールデン街の飲み屋に通っていると自然とできてくる関係性に近いかもしれません。ひとり酒をしていると自然に顔見知りが集まってきてお互いに声をかけ合うような、そんな関係性がゴールデン街にはあるんです。
ニュクス薬局での私とお客さんの間にあるのも、あの関係性に近いところがあるんじゃないかなと思いますね。
近すぎず遠すぎず、いつでもその場所に行ったら会って話すことができるような関係性。都会の真ん中に住む人々にもきっとそうした関係性が必要で、それをニュクス薬局は夜の歌舞伎町で日々生み出している…そんな風に受け取りました。中沢さん、お話聞かせてくださりありがとうございました!
取材後記
夜の東京を宇宙から眺めてみれば、歌舞伎町という街は大きな黒い海に浮かんだ小さな離島のように見えるかもしれない。そんな離島の真ん中に、このニュクス薬局はある。
中沢さんとニュクス薬局はすでに様々なテレビ番組などでも紹介されていた。ただ、それでもなお自分なりに聞ける話もあるのではないかと思って、取材を申し込んだ。
この街には、女性たちが誰にも言えない「秘密」を日々つくっていってしまうような構造がある。中沢さんの話を聞いたあとになって考え始めたことだ。
自分本位に「癒し」を求める男性。しかし、サービスを提供する女性たちの心のうちに少しずつ溜まっていく暗いもの、それに気づくのは一体誰なのか。それをケアするのは一体誰なのか。
中沢さんは薬局で薬や栄養ドリンクを売りながら、彼女たちの秘密の打ち明け相手になっていく。家族にも言えない。彼氏にも言えない。でも、誰かには言いたいことがある。話を聞いてもらいたいときがある。
近すぎず、遠すぎない距離感で、でも時には「やめておけ」と踏み込む。そういう距離感で、一人一人のお客さん、一人一人の女性たちと、中沢さんは接していく。
「久しぶりに顔を見るとちょっと安心するよ」なんて言いながら、「あなたのことを気にかけているよ」ということを、さりげなく伝えていたりする。そして、彼は本当に気にかけている。
これは、「社会を繕う」という連載の最初の記事だ。私たちが知らない色々なパッチワークの集積で、この社会はギリギリ持ちこたえているのではないか。そんな思いと共に、この企画を始めることにした。
中沢さんの話はどうだろうか。社会を、繕っているだろうか。私はそう思ったのだけれど、皆さんは何を思っただろう。
古い社会の破壊でもなく、完全に新しい社会の訪れでもない。地べたにある工夫とツギハギから紡がれる具体的な物語を、これから色々な書き手と共に集めていけたら。今のところは、そんな風に思っている。
社会を繕う。
そう、
社会をつくろう。