コラム

経営者の孤独/クラシコム・佐藤友子「誰もが心の中にふたつの金庫を持っている」

たったひとりでリスクをとり、責任をとり、決断をし続ける人々、「経営者」。
彼らを見ているうちにふと気づいたことがある。

それは、わたしの中にも小さな「経営者」がいるということだ。わたしたちはみんな多かれ少なかれ、自分自身の経営者であり、自分の人生という事業を営んでいる。

世の経営者が会社から逃げられないように、わたしたちもまた、自分の人生からは逃げられない。鎧をかぶってこの平坦な戦場を生きぬかないといけない。わたしが経営者に惹かれるのは、きっとそれが拡大化・社会化された存在だからなのだと思う。

クラシコムのオフィスを訪ねるのは、これで二度目だ。

前回訪れたのは半年前だった。
あのときは夏で、オフィスビルの前にある街路樹も青々と茂っていたが、今は葉も落ち街はクリスマス色に染まっている。

そのときは、代表取締役である青木さんに『経営者の孤独』について話をうかがった。
今回は、青木さんの妹であり共同経営者である、佐藤友子さんにお話をうかがいにやってきた。

佐藤さんのことは『北欧、暮らしの道具店』の「店長」として、ずっと前から知っていた。
サイト上で更新される店長コラムを読んでは、自分と同じ年くらいの息子を育てながら仕事をしている佐藤さんに感情移入して、「わかるなぁ」とか「わたしもがんばろう」とか思っていた。

だからわたしにとって佐藤さんは、「経営者」というよりもあくまで『北欧、暮らしの道具店』というお店を作っている店長さんで、彼女の言葉に励まされたり、彼女の新しいアイデアに喜んだりと、育児も仕事も一緒にがんばっている「戦友」みたいに、勝手に思っていた。

佐藤さんにも『経営者の孤独』についてお話を聞きたい、と思ったのは、青木さんが佐藤さんとの役割分担について、このように表現していたからだ。

「頭とお尻の部分を僕が担う。あとは制作に伴走してリスクを潰していくっていうのが僕の仕事です。妹は、とにかく作品の質を最大化する人。そういう役割分担ですね」

青木さんはその関係性を「僕がプロデューサーで、妹が監督」とも表現した。

それを聞いて思ったのは、「監督ならではの孤独ってなんだろう?」ということだった。
つまり、青木さんがマネジメントの担当だとすれば、佐藤さんはクリエイティブの担当ということになる。それならば青木さんの感じる孤独と、佐藤さんの感じる孤独は、異なるのではないだろうかと考えたのだ。

そして、「監督」であると同時に「経営者」でもあることに、葛藤はないのだろうか?
佐藤さんにうかがいたいと思ったのは、そういったことだった。

初めて会った佐藤さんは、とても気さくな笑顔でわたしたちを出迎えてくれた。
通されたミーティングルームには窓からたっぷりと光が差し込み、ところどころでスタッフの方たちが和やかに打ち合わせをしている。

「先に送っていただいた質問を読んで、インタビュー中に自分が泣いてしまったりしないかと心配になっていたんですよ」
と言って、彼女は笑った。
先に書いておくと、実際には佐藤さんではなく、わたしのほうが泣くことになるのだが。

スタッフの方の笑い声が心地よく響く中で、佐藤さんとわたしは向かい合い、話を始めた。

プロフィール
佐藤友子
1975年、神奈川県生まれ。株式会社クラシコム取締役。北欧雑貨をはじめとするライフスタイル提案ECサイト『北欧、暮らしの道具店』店長。オリジナル商品開発やブランド展開も手掛けるブランドマネージャーも兼務。サイト内では、暮らしにまつわるコラムも連載中。実兄である青木氏とともに事業展開を行っている。

浅ましい自分とも対峙しないと「フィットする暮らし、つくろう。」なんて言えない

土門

前回青木さんにお話をうかがったのが半年前なのですが、それからも刻々と状況が変わってきていると思います。佐藤さんの目から見て、クラシコムは今どういったフェーズに入ってきているでしょうか?

佐藤

今は、スタッフが一気に増えてきているときですね。物販、メディア、広告、映像、それぞれの事業が伸びていて、どの分野にももっと人が必要という時期です。今スタッフは全部で60名弱いるんですけど、そのうちの3分の1の人がこの2年以内に新しく入ったスタッフなんですよ。

土門

わっ、そんなに一気に。

佐藤

そうなんです。だからフェーズとしては、急激に組織が大きくなっている時なんですよね。だから今の課題を挙げるとすれば、「人を増やし組織を大きくしながらも、自分たちも働き続けたいと思えるような会社でいかにいられるか」っていうことだと思います。創業時に、青木とふたりで誓ったことがあるんですよ。それは「自分たちも働き続けたいと思えるような会社であり続けよう」っていうことなんです。経営者自身が来たくなくなるような会社にだけはしないでおこうって。ある種の健全さ、居心地の良さみたいなものを保持しながら、ビジネスとしての成果をしっかり出すことのできる成熟した会社になる。今はそこを目指している、まさに過渡期なんですね。だから、私たちの経営能力というものが試されているときだと思います。

土門

経営者のおふたりにとっても、居心地がいい会社で居続けられるかどうか。

佐藤

そうです。やっぱり自分たちが幸せになりたくて自分たちで作った会社だから、「会社のドアを開けたくない、経営するのが辛い」みたいになってしまったら本末転倒だなって思うので。だけど日々、そうなってしまいそうな、いろんなこう……。

土門

ありますか。

佐藤

うん、ありますね。例えば他社と自分たちを比べてしまうときとか。そういう、ある「悔しさ」っていうのが襲ってきたときに、人は道を踏み外してしまうんじゃないかなって思っていて。

土門

人と比べたときに……。

佐藤

人と比べて「悔しいな」とか、「先にそれやられちゃったな」とか思ってしまうことって、やっぱりありますよね。でも、「本当はうちの強みって何だったんだっけ」とか「そういうところを目指して幸せになれるんだっけ」とか……ちょっと待てよちょっと待てよ、って考える癖が、私も青木もすごくあるタイプなので。そういう人間がふたりいる分、なんとか今、いい感じでやれているかなって思うんですけど。でも、いろんな誘惑がありますよね。

土門

あの、私、クラシコムさんの経営理念が大好きなんです。「フィットする暮らし、つくろう。」っていう。青木さんが以前の取材で、「クラシコムが『フィットする暮らし』というコンセプトを立てているのは、僕がフィジカルなことしか信じていないからなんですよ。概念的な『幸せ』や『豊かさ』を作ろうっていうのはよくわからないから、言いたくないんです」ということをおっしゃっていて、とても誠実な理念だなと思っていて。

佐藤

ああ、ありがとうございます。

土門

今のお話を聞いていて思ったのは、そういういろいろな誘惑も、「フィットする暮らし、つくろう。」という経営理念が、「あり」か「なし」か決めるときの基準になっているのかなと思いました。経営理念が迷ったときの指針となっているというか……。そしてその感じは『北欧、暮らしの道具店』というお店からもメッセージとして発信されているように感じるんですよ。だから、サイトを見ているとなんだか気持ちがいいし、自分の行動にもその理念が反映されていくような気がして。

佐藤

うわー。そう言っていただけてすごく嬉しいです。ありがとうございます。でもね……なんかその、「フィットする暮らし」っていうのは、「自分のものさしで満足できる暮らしや人生」というふうに定義しているんですけど、それは「私のものさしではこうなんだから、これでいいじゃない」っていうことではないんですよね。そうやって自分が言い始めたらサムいなって思っていて。やっぱり、「他者と自分を比べてしまう自分」っていうのとしっかり対峙しきったあとで「フィットする暮らし、つくろう。」っていうことを言いたいんですよ。

土門

はい、はい。

佐藤

もし、土門さんがうちのお店から何かのメッセージを感じてくださっているとしたら、ちゃんと影の部分をわかったうえで光を見たいというのがあるからかもしれないです。私自身、「気にせず自分らしく生きればいいじゃん!」みたいに言われるとイラっとするタイプなので(笑)。「いやいや、ちゃんとわかって言ってる?」みたいな。そういうのは違うんじゃないかなって思うんですよね。だから私は、スタッフやお客様と共有する「フィットする暮らし、つくろう。」っていう経営理念を言い出した責任者として、自分の闇とか影の部分としっかり向き合わなくてはいけないなって思っています。「あ、私また焦ってる」「また悔しがってる」「まだまだ浅ましいな」って、そういう自分のこともわかっていないと、「フィットする暮らし、つくろう。」なんて言えないですよね。

インタビューというのは不思議だ。

インタビュアーであるわたしはインタビュイーである彼・彼女と初対面にも関わらず、文字として残すべき「重要なテーマ」について、話を聞き出す。
初めて出会った方に、大事なことについてのお話を聞かせてください、と言って応えていただくのだから、通常の人間関係とはかなり異なる関係だと思う。

だからなのだろうか、わたしはインタビューの際、無意識のうちに、なるべく自分の人間性を消そうとしているような気がする。なるべく透明になり、匿名になり、彼らにとっての単なる「問い」になろうとするのだ。
なぜかというと、わたしたちは継続的に培ってきた人間関係の上で対話をしているわけではないからだ。初対面であるがゆえの警戒心、遠慮、気遣いなどが、インタビューを妨げる時がある。それならば、極力自分の人間性を消してしまったほうがいい。

だけど、佐藤さんと出会ってすぐ「この人とはすごく目が合うな」と思った。
彼女はわたしをまっすぐ見ていて、わたしが次に何を言い出すのかを興味深そうにじっと待っている。その目を見ながら、
「佐藤さんは、わたしと話がしたいと思っているんだ」
と唐突に思った。

いつの間にか口数の多くなっている自分に合点がいきながらも、どきどきしていた。
まるでこれまで透明だった人物が、また色を取り戻して動揺しているような。

佐藤さんはいつもこんなふうに社員さんと向き合っているんだろうか?

広々としたミーティングルームの中、そんなことを考えながら、わたしはインタビューを進めていった。

価値ある「もの」を生み出す人、その「もの」を見立てる人

土門

佐藤さんの会社での立ち位置についてうかがいたいのですが、青木さんは以前の取材で「僕と佐藤っていう関係性でいうと、僕がプロデューサーで、妹が監督なんですよ」とおっしゃっていました。佐藤さんも、そのように思われていますか?

佐藤

そうそう、あるときからそういう例え方でふたりの関係性が青木によって語られるようになったんですよね。最初は「えっ、そうなの?」って感じでしたけど(笑)、確かにそうかもしれないなとだんだん思うようになりました。なんて言ったらいいのかな。青木が持っている特徴について、妹の立場からして思うのは「見立てる力」がすごくあるっていうことなんですよ。その部分においてはすごくリスペクトしていて。

土門

見立てる力?

佐藤

はい。青木は、ある価値を持つものを見たときに、その価値を言語化して意味付けして、もっと大きな価値にするっていうのがすごく得意なんですよね。

土門

ああ、なるほど。確かに、価値の言語化と時代における意味づけが本当にお上手ですよね。

佐藤

そうなんです。ただ、青木にないものがあるとしたら、見立てる元となる「もの」自体を作る力なんですね。逆に私は「何かこういうことがしたい!」「こういうことをしたらお客さんが喜んでくれるはず!」みたいなことを、誰に言われなくてもやっちゃうんです。その思いつきに何の意味も意義も見出せてないけど、なんかやっちゃう。それを青木が価値として見立ててくれる。だから、凸凹を埋め合う最高のコンビだなって思っているんですけど。

土門

その佐藤さんの「こういうことをしたらお客さんが喜んでくれるはず!」っていうアイデアとかモチベーションは、どういうところから生まれるんでしょう。

佐藤

うーん、それこそ身体的な感覚で、なんか「わかっちゃう」みたいな……ああ、こういうふうに言うとすごい勘違い女みたいに聞こえますね(笑)。

土門

いえいえ(笑)。でも、それってどうしてなんでしょうね。たとえば佐藤さんの中に、喜ばせたい「この人」みたいな、具体像があるんですか。

佐藤

多分、それが「自分」なんですよね。「自分みたいな誰か」は世の中にいっぱいいて、その「誰か」はこうすればきっと喜んでくれるっていう、根拠のない確信があるんですよ。だから「自分」がどうすれば喜ぶかをわかる瞬間っていうのが、「わかっちゃう」瞬間なのかもしれないです。

土門

佐藤さんが「自分」自身を喜ばせようとすることが、結果的に他の人も喜ばせているってことなんですね。では青木さんは、それに対してロジカルにジャッジする立場ということでしょうか?

佐藤

いえ、彼はジャッジはしないんですよね。もちろん、私のアウトプットが数字的な成果になっているかどうかは見ていると思いますけど、何を仕入れて何を作るかっていうのはいっさいタッチしていないんですよ。私が数字にコミットしている間は多分大丈夫だって、安心しているんだと思います。たとえば『北欧、暮らしの道具店』を始めたときも、ただ商品のうんちくを書くんじゃなくて、暮らしの中のこういうシーンでこの道具を使ったら魅力的ですよっていうのを商品ページにひたすら書いていたんです。それで徐々に反響が来るようになると、今度は別の角度で商品を切り出した特集みたいなものをやってみたらおもしろいんじゃないかって作り始めたり。そういうのを思いついて、ひとりで勝手にやり始めてしまうんですね(笑)。すると徐々に、それを読んだ人が買ってくれて売り上げが伸びてくる。それを見た青木が、「うちのECサイトは、カートボタンのついた雑誌だ」とか言い始めるわけですよ。

土門

ああ! 見立てたんですね。

佐藤

そうそう、見立てたんです(笑)。で、「これからうちのサイトはECメディアだから」って言われるんですね。私はメディアが何なのか全然わかっていないんだけど、「うんわかった、メディアね」って(笑)。「私がやってたことメディアなんだー」みたいな。

土門

名前がつけられて。

佐藤

そう、名前がつけられて。それで「これから、今やっているような記事を月100本リリースすることを目指そう」みたいなことを青木に言われるわけです。それに応えるためには、いつまでにどういう人がどれくらい必要なのかを私が考える。そうしたら青木が人を採用してきて、どんどんリソースをつけてくれるんですね。

土門

なるほど。本当に、監督とプロデューサーですね。

佐藤

最初はナチュラルに青木から「お前がやってること、いいな」って見立てられたのを、そこからは見立てられた通りに、ナチュラルではなく計画的にやっていきましょうってことですよね。私としては、自分が小さくやってきたことに名前がついて、意味づけされて、どんどん大きくなっていくわけだから、やっぱりやる気も出るんですよ。価値あるものを作ったら青木が見立ててくれて、今度はちゃんとそれがビジネスとして成立するように、かつ、いいものを作り続けられるように、環境を整えてくれるから。……今は青木に、毎日5分のドラマをサイト上で流すようにするにはどうしたらいいのか考えろって言われているんです。

土門

毎日!

佐藤

「ちょっと待って、まずは週に2回でもいい?」みたいな(笑)。そしたら、「いいよ、俺は無理言わないよ。でもお前ならできるよな」って。そうなると「わかった、がんばる」ってなっちゃうんですよね。そういう騙し合いみたいな関係ですよね(笑)。

土門

ちなみに、青木さんからダメ出しをされることはありますか?

佐藤

それはすごくありますよ。「ちゃんと数字見てるの?」はすごく指摘されましたね。おもしろいことをやりたがっているのはいいけど、こっち見えてんの?って。そこはすごい教育されました。

土門

じゃあやっぱり、青木さんが言い続けているのは「好きなことをしろ」っていうことじゃなく、「好きなことをちゃんと数字にコミットさせろ」という。

佐藤

そうですそうです。だから、約束を守ることが前提なんですよね、お互いに。私に課せられている約束は「価値あるものを作る」だけじゃないんですよ。経営的な視点を持ってちゃんと利益を確保すること、それに継続性や成長の見込みをもたせること、一緒にやっているスタッフをできることならば幸せにすることなど、いろいろな約束を私は青木としているんですね。その上で、売り上げや利益という数字だけでなく、在庫の適正、関係するあらゆるオペレーション、任されている分野の仕組みや組織づくりまで見ますって約束をしているので、本当にバタバタやっているわけです。

土門

なるほど……。実は取材の前までは、佐藤さんと青木さんの関係を、クリエイティブとマネジメントっていうふうに単純に分けていたんですけど、実際はそれよりもずっと複雑なんですね。まず佐藤さんの中でクリエイティブとマネジメントがあって、それをさらに大きくビジネスとして育てていきたいというときに、青木さんがさらにマネジメントをしていく。

佐藤

まさにそういう感じです。バックオフィスを担当している青木が、私の管掌分野をどういうふうに広げるか、ないしはリスクマネジメントをどうするかなどを、担ってくれているんですよね。だから多分、青木と会社をやっていなかったとしても、私ひとりでも何かしらやっていたような気がしますね。小さいけれど自分で店をつくって、5人くらいのスタッフを抱えて、そこでお店のオーナーとして小さな価値を守る、みたいな。そういうことはひとりでもやっていたと思うんですけど、今みたいにはなっていなかったと思います。青木は青木で私とやっていなければ、自分の見立て力を発揮したい相手っていうものに出会えていたかどうかわからないから。そういう意味でおたがいの凸凹で経営できているって感じです。

「かわいそうだった時のあいつ」をお互い知っている

佐藤

あのね、毎朝9時に、青木が私の席のところに来るんですよ。それが12年お決まりの景色というか。私は青木が来やすいように、自分の席の斜め後ろに丸椅子を置いているんですね。

土門

へえー。

佐藤

それで来るたびに、「昨日売れたね」とか「売れなかったね」とか話して。15分くらい雑談して、お互いのコンディションを確認するんです。それで、「じゃあ今日もがんばろう」って言って、1日を始める感じなんですよね。いつも。

土門

ああ、そうなんですか……。……あの、すみません。なんだか私、今そのお話を聞いて、ちょっと感動して泣きそうになってしまっているんですけど。

佐藤

ええ!?(笑)なになに、どうしてですか?

土門

すみません(笑)。何でこんな感動してるのかな。

佐藤

え〜、何でだろう(笑)。

土門

あの、そもそも兄妹で会社を始めるっていうのは、佐藤さんにとってなんていうか……自然なことでしたか?

佐藤

自然なこと……。どうだろう。自然だし、自然でもないしっていう感じかな……。

土門

佐藤さんは20代のころいろいろな職を転々として、自分がいったい何をしたいのかずっと悩んでいたっていうお話をある記事で読んだんですけど、その先の想像していた未来に「お兄ちゃんと会社をする」っていう選択肢はあったんでしょうか?

佐藤

ああ、それはあったと思いますね。そういう意味では自然だったかもしれないけれど……。あの、私たちもともと、子供のころはすごく仲の悪い兄弟だったんですよ。

土門

えっ、そうなんですか?

佐藤

一緒に会社やっていると「さぞかし仲が良いんでしょうね」って言われることがあるんですが、そういうわけではないんですよね。子供のころは、私、絶対にお兄ちゃんみたいになりたくなかったんです(笑)。

土門

それはまた、なぜ……。

佐藤

うーーーん。何だろうなあ……。すごくこう……母親が困ってたんですよね。

土門

青木さん、すごく生意気だったとかですか。

佐藤

というか、興味のないことは聞かないし、納得していないことはもろに態度に出すタイプだったんだと思います。母がよく学校の先生に「困ったものですねー」みたいに指摘されてて。その光景を妹の私は見ていたので「お兄ちゃんみたいになってはいけないな」って自然に思うようになっていたんですよね。兄は兄で、私がそう思っていることもわかっていただろうし、妹がいろいろな人から愛されている子に見えたのだろうし、ある嫉妬が兄にもあったんじゃないかとは思うんです。だから、お互いがお互いをバカにしあっているような感じで。

土門

なるほど。

佐藤

でも、高校生くらいになってからですかね。決定的な瞬間として覚えているんですけど「あ、やばい。私、最近お兄ちゃんぽくなってきてる」って思う瞬間があったんですよ。友達ときゃーってなってるときに、ふと「ああもう、楽しくないな」って思っている自分に気がついたんですよね。それまでは一所懸命合わせてきてたんですけど、やっぱり自分も無理してたんだなって。それで、ここまで無理してこなかったお兄ちゃんすごいなって初めて思いました。そこから何か、急激に話が合うようになって、いっぱい喋るようになりましたね。二十歳ごろには一緒にバンドもやりましたし。バンドと会社って似てるから、一緒に会社やるのも自然だったかもしれない。さすがに12年も一緒にやれてる未来は想像してなかったですけどね。

土門

あの、今、なぜ自分がさっき胸が熱くなってしまったのかっていうのが、ちょっとわかったんですけど。

佐藤

えっ!(笑) どうしてだったんですか?

土門

何だろう……毎朝、青木さんが隣にやってきて、丸椅子に座るところを想像したときに、なんとなく幼い頃のふたりを感じたからかもしれないです。先生に怒られたり、友達と騒いでいるときにふと醒めてしまったり、そういう子供たちだったふたりの「自分たちが自分たちらしく、無理をしないで生きていきたい」っていう気持ちが、経営理念に表れているような気がして。それが毎朝の儀式で、いつも確認されているんだなって。

佐藤

ああ……そうかあ。あのね、兄とは一緒に起業して以来、殺し合いみたいなけんかをしたこともあったし、いわゆるきゃっきゃと仲の良い感じではない、すごく冷静にお互いを見ている関係性で、それは昔からずっと変わっていないんです。でも、そこに一筋の愛があるとすれば、「かわいそうだった時のあいつ」をお互い知っていることかもしれない。理解者がいなくてかわいそうだったお兄ちゃんを私は知っているし、無理して周りに迎合しようとしていたかわいそうな私を兄は知っているし。だからどんだけムカついても許せるのは、「かわいそうだったあの時のあの子」を知っているからかもしれないですね。

取締役のふたりが顔を合わせ雑談をする、毎朝の儀式。
もう習慣になっているのだろうし、どんな会社でもよくある光景なのかもしれない。それなのについ泣きそうになったのは、幼い頃のふたりを想像してしまったからだった。

「私たちは、人生が自分用にあつらえられたかのように、『フィットしている』と感じられる事こそ、本当の意味で豊かで幸せなことだと考えています」

これは、クラシコムのコーポレートサイトに書かれている言葉である。
そしてこれはそのまま、青木さんと佐藤さんがクラシコムを立ち上げた動機のようにも読める。

自分用にあつらえたかのような、自分に「フィットしている」会社を彼らは立ち上げた。
それは逆に言えばふたりにとって、他に「フィットしている」場所がなかったということでもある。

「自分たちも働き続けたいと思えるような会社であり続けよう」

創業時にその約束を交わしたのは、もしかしたら「かわいそうだった頃の」ふたりだったんじゃないだろうか。

その約束を、今もちゃんと守れているか。
その約束を、今もちゃんと覚えているか。

兄のために丸椅子を用意してあげる妹と、その椅子に座って「おはよう」と話す兄。
そんなふたりの毎朝の儀式は、その約束を確認するためにあるのかもしれない。

悩みは、興味を持たないといけない範囲が広がり続けていること

土門

佐藤さんはご自身をクラシコムの「No.2」とおっしゃっていますが、No.2であるからこその悩みっていうのはありますか?

佐藤

No.2であることのストレス……うーーーん。何でしょうねえ……。たぶん、私にNo.2としてのストレスがあったとしても、トップが兄だからっていうので、それはだいぶ少なく済んでいると思うんですよ。だから今の私の環境で、「No.2って大変です」って言えないですよね。お前が言うなって世の中のNo.2の方たちから頭はたかれちゃうと思います。あと、自分はやっぱりNo.2に向いているなって思うし。

土門

へえー。それはなぜですか?

佐藤

妹気質というか、甘えたい性格だからっていうのもあると思うんですけど……。でもよく考えたらさっき言っていた、「学生時代の周囲に合わせていた自分」と、青木みたいに「周りに合わせられなくなった自分」、どっちの自分でもいられるから、ですかね。今までの人生でその両方の自分を経験してきて、どっちも否定したくないって思っているんですよ。実際、どちらかの自分だけでやっていたら、『北欧、暮らしの道具店』は多くの方に愛していただけなかったかもしれないとさえ思うんですよね。自分のビジョンを掲げながらも、長いものに巻かれそうになったり、隣の人と自分を比べそうになったり、そういう両方の自分を行き来することで、ある輪の中にいるたくさんの方に共感してもらえる価値が作れているような気がするんですね。

土門

なるほど。

佐藤

会社の中でも、青木的な自分と、みんなときゃっきゃやりたい自分っていう、両方の自分でいられるから、No.2って心地よくて。両方の人格を行き来できるから全肯定できるんですね、自分の人格を。「こういう私でよかったな」って思えるっていう、すごい調子のいい考え方なんですけど(笑)。だから、青木も私をNo.2に置いていることで楽できている部分はあるんじゃないかなって思います。いい緩和剤になりたいっていつも思っているので。

土門

では、No.2ではなく、ひとりの経営者として悩んだりすることはありますか?

佐藤

それはありますよー。というか、それしかないですよね。

土門

たとえば、どういったことでしょう。

佐藤

やっぱり……何でしょうね。私はもともと、「経営がやりたい」と思って会社を立ち上げたわけではないので。青木は起業したくてクラシコムを作りましたが、私は「価値あるものを作って、誰かの人生にポジティブな影響を与えたい」ってことしか考えていなかったので、「私が経営者でいいのかな?」っていうのは毎日悩んできましたね。会社が大きくなればなるほど悩むから……今も夜にジョギングして、その悩みを吹き飛ばしているっていう感じです。

土門

それは、「経営」という仕事にご自身が向いてないんじゃないかと思っている……というこですか。

佐藤

うーーん、でも、向いてなかったら多分12年続けてこれなかったと思うんですよ。だから、今は向いてるか向いていないかで悩まないようにしているんです。だけど、会社って生き物で、止まらないんですよね。そして止まらないようにしているのは、他でもない自分たちなんです。私もその加担者で、責任者なわけで。でもその……何だろう。大きくなっていく組織の先頭を走る者として、毎日キャパシティが試されているんですよ。本当に、毎日、毎日。これから先も、自分がそれを担い続けられるだろうかというのは、思いますよね。

土門

毎日、少しずつキャパを押し広げられているような。

佐藤

そうです。具体的に言うと、自分が興味を持たないといけない範囲がどんどん広がっていっているんですよね。10年前は、雑貨に興味があればよかったんですよ。でもすぐに雑貨だけじゃなくて、物流とかオペレーションとか、お客様の対応のことがわかる店長にならなくちゃいけなくなって。それからは編集、マーケティング、B2B、人事、評価制度のあり方……次から次へと違う分野に興味を持たねばならない状況が、この10年止まらなかった。ということは、おそらくこれからの10年も止まらないだろうなと思うんです。だけど、人の興味を持てる範囲って限界があると思うんですよ。私自身、人から言われなくても興味津々なこともあれば、がんばって何とか興味を持とうとする分野もある。それは自然なことだと思うんですけど、やっぱり経営者として「興味持てません」じゃすまないことがどんどん増えていっているわけですよね。私は、「興味=愛」だと思っているので、会社のやっていることに「興味がない」っていうことは、「愛がない」って言っているのと同じだと思うんです。だから、興味を持とうと努力することを怠れない。だけど自分もまだプライベートで子育てをしている最中だったりするので、インプットできる時間にも体力にも限りがあるんですよね。

土門

なるほど。興味を持たねばならない分野が、あまりに多くなっていってるんですね。

佐藤

新しいことを知ろうとする姿勢を保ち続けるのって、ものすごく胆力がいるんですよね。私はもともとものすごく狭い範囲にしか興味を持てない人間だったので、なおさらそうだなって思っていて。でも、「人を集めて大きくしていこう」と経営者として願うのなら、雑貨やインテリアに興味があるだけじゃだめだったわけです。だから自分の心底興味が持てる部分を健全に蓄えながら、横展開もしていくっていう。それが私にとってはものすごく体力がいることなんですよね。

土門

「興味=愛」だとしたら、愛にも限りがありますものね……。だからと言って、興味がないって突っぱねることもできないし。

佐藤

「私興味ないしわからないから」じゃね、任されるスタッフもがんばれないじゃないですか。そういうのは、自分の美意識だとできないんです。

土門

だけど、それでもういっぱいいっぱいだなっていうときは、どうしているんですか?

佐藤

そうですねえ……解決はできていないですね。

土門

ひたすら興味を広げ続けて……。

佐藤

疲れ続けているってことですよね……(笑)。

土門

そうなんですね……。だけど、たとえばそれに影響されて、先ほどおっしゃっていた「これがやりたい」とか「こうしたらお客様も喜んでくれるはず」っていう、言うなれば佐藤さんのクリエイティビティが枯渇することっていうのはないんでしょうか。

佐藤

もちろん調子が悪いときには、そのモチベーションの灯火みたいなのが消えそうになることもあります。でも、その部分が枯渇しているってことは今のところないですね。むしろ、年々強くなっていっているかも。

土門

へえ! それは、年々関わる人が増えたり、フィードバックが増えたりしているからでしょうか?

佐藤

どうしてなんでしょうねぇ……。年を重ねていくうちに、自分って本当に「思いだけの奴」だなってことがわかってきたんですよね。このビジネスを始めてから12年、必死でいろいろなものを作り続けていくうちに、そういう自分のパーソナリティを信じられるようになってきて。そこから生まれたものがたくさんの人に届いたっていう蓄積が、年々高まっていっているからだと思います。それが自分を支えてくれていると思いますね。

土門

なるほど。じゃあ、「心底興味が持てる分野」は大丈夫なんですね。やっぱり横展開がしんどいと。

佐藤

そうですね。横に広げていきたいけど、もう無理かも、やめたい……みたいな。複雑な心境になります。

土門

そういうもやもやは、青木さんと共有したりしますか。

佐藤

あまりしないですね。1年に1回くらい言うときがあるけど。

土門

ごくたまに本音とか弱音とかを言うときがあるんですね。

佐藤

でも、私がそういうことを言うと青木が……何て言うんでしょうね、何とも寂しそうな顔をするんですよね。だからあまり言っちゃうとかわいそうだなあって(笑)。

土門

あはは。言えなくなっちゃうんですね。

佐藤

年に一度は、その「かわいそう」の閾値を超えて漏らしちゃうことがあるんですけど、普段はこういう、「これ以上興味の範囲広げられない、辛い」みたいなことは、言わないです。

土門

逆に、青木さんが弱音を吐いたりすることはあるんですか。

佐藤

それは全然ないです。愚痴とかはありますよ。「最近こんなことあってさ」みたいな。それも、どこにも漏らす心配のない相手だって、お互いわかっているから言えることなんですけどね。だけどあの……私、人って心の中にふたつ金庫を持っていると思うんですよ。

誰もが心の中に持つ「ふたつの金庫」

土門

ふたつの金庫?

佐藤

はい。心の中に金庫があるとしたら、その中にもうひとつ金庫が入っていると思うんですよね。「こういうことが辛いんだ」って本音が入っているひとつ目の金庫、それは私、兄妹間で開示して話しているかなって思うんです。でも、その中に実はもうひとつ金庫があって、ここは誰にも触れさせない、触れてほしくないっていう金庫がある。そういうふたつの金庫を、みんな持っていると思うんですね。スタッフもお客様も、みんな持っていると思ってて。

土門

はい、はい。

佐藤

ひとつ目の金庫を開けることも難しいと感じることってあります。だから、もし私たちがお客様とある親しい関係を築けているとしたら、まずひとつ目の金庫を開けようと努めているからじゃないかなって。
でも、実は私にももうひとつ金庫がある。ひとつ目の金庫の暗証番号が4桁だとしたら、ふたつ目のは暗証番号16桁くらいの厳重なやつなんです。その、ふたつ目の金庫については、兄妹でも触れ合わないようにしていますね。

土門

あの、それは青木さんの他にもいないですか? ふたつ目の金庫を開示できる人。

佐藤

ああ……いないかも。夫にもしないし、友達にもしないですね。

土門

開けられないのは、どうしてなんでしょう。

佐藤

どうしてなんだろう……そこを開けたら、自分が壊れるみたいな感じなのかな?

土門

ああ。

佐藤

そこが本当の「パーソナルな部分」なんですよね。「自分だけが知っている自分」。それを残しておくのが、やっぱりすごい大事な気がするんですよね。それって家族にも、子供にもあると思うんですよ。お母さんにも開示しないふたつ目の金庫って、7歳の息子にもあるなって思うし。私自身、母親にもそこは開け合わずに42年やってきたなって思うし。

土門

なんとなくわかります。私にも、ふたつ目の金庫があるなって思うんですよ。確かにそこを開けると崩れちゃうような……何だろう、見せたくないってわけじゃないんですけど。

佐藤

そうそう、そういうわけじゃないんですよね。見られたら恥ずかしいってわけじゃないんですけどねえ……。

土門

そうですね、何でなんだろう。

佐藤

でも、自分が書いているいろんな言葉とかって、実はそのふたつ目の金庫から出ているような気がします。

土門

ああ! はい、はい。

佐藤

だから、大事にしたいんですよね。そこから、自分の書く言葉が出ているから。私の場合はですよ。

土門

はい、私もそれ、よくわかります。今、すごく腑に落ちました。

佐藤

だから、そこは簡単に開けない方がいいと思っているのかもしれない。じゃないとなんか、何でしょうね……ああもう、こういう取材受けたことないんで、何話してるんだろうって、すごい恥ずかしくなっちゃった(笑)。

土門

いえいえ、あの、よくわかります。

佐藤

なんか、そういう事を思うんですよね。開けたふりして開けてないなぁ、って。だから青木との関係でも、ふたつの金庫の中身は言わないし。別にお互いそれを求めていない気もしますね。

ふたつの金庫の話を聞いたとき、まるで自分の心の中にあるものがきれいに言語化されたような気持ちになった。

わたしの中にも金庫がある。その外側の金庫は、ときどき自ら開示していると思う。
おそらくわたしにとってはそのひとつ目の金庫を開示することが「書く」という行為にあたるのだろうし、そこに足を踏み入れてくれた人が「読者」ということになるのだと思う。

そこで書かれる言葉は、実はもうひとつ奥にある、ふたつ目の金庫の中から少しずつ出ている。まるで滲み出るように現れるその言葉を、わたしはひとつ目の金庫の中で文字にして、世に送り出しているような気がする。
ただ、ふたつ目の金庫から滲み出るその言葉は、無尽蔵に出てくるものではない。しかも、出てくるまでにも時間がかかる。誰の目にもさらされないまま時間をかけて積もったものだけが、ようやく自分の言葉として出てくるのだ。

佐藤さんの「金庫」の話を聞いて、本当にその通りだなと思った。
そして、「経営者」である佐藤さんと向かい合っていたはずが、いつの間にか「店長」としての佐藤さんと対面していることに気づいた。
『北欧、暮らしの道具店』というお店の世界観をつくり出す、ひとりのクリエイターとしての佐藤さんと。

高いところにあった陽が暮れ始めている。
打ち合わせをしていた社員さんたちはすでに席を立ち、ミーティングルームにはわたしたちだけになっていた。

「コミュニケーションから逃げない」ことを自分に誓っている

土門

ふたつ目の金庫を閉じているからと言って、それがつまり人に心を閉じていることにはならないですよね。

佐藤

そうですね。あの、前回の青木のインタビューのとき、青木は「信頼はするけど、信用はしない」って言っていましたよね。

土門

はい、はい。

佐藤

多分、彼は最終的に自分が傷つかないようにするっていう、防衛的なところがすごくあるんだと思うんですよ。トップとしてその資質が必要でもあると思いますし、私にももちろんそういうところはあるんですけど、でも、ここぞと決めた人に対してはとことんやりあってぶつかりあって死にたいって思っているところがあるんです。特に一緒に仕事をしているスタッフには、自分が考えていることをわかってほしいって思ってしまうんですよね。どんなに遅くなっても、声が枯れても、ものすごい語ってしまったりとか。スタッフの話もすごく聞きたいと思うし。なんか面倒臭いです、自分でも(笑)。

土門

へえー。

佐藤

それで最終的に心が通じなくて「わかってくれたと思ってたのに!」って傷ついてしまうことも、ありなんですよね。私の場合は。

土門

それも込みで、期待するという。

佐藤

そうです。だから、兄のクールさと私の面倒臭さでクラシコムって成り立っているのかなって。

土門

だけど、そこまで濃いコミュニケーションをとろうとすると、その反動で寂しいって思ったりしないですか?

佐藤

うーん。そうですねえ……。寂しいと思うこと……寂しいと思うこと……。……やっぱりコミュニケーションがうまくいかないときには「うまく伝わらないな」とか「誤解されちゃったな」とかいう気持ちになることはありますよね。そういう時は寂しいけれど……。

土門

はい。

佐藤

うーーーん。でも、さっきお話したふたつ目の金庫の話の通り、私、全員孤独だと思うんですよ。

土門

ああ。さっきのお話を聞いて、わたしもそう思いました。そしてさらに言うなら「孤独とはふたつ目の金庫のこと」ともとれるのではないかなって。

佐藤

あ、本当にその通りだと思います。

土門

だから、それ(孤独)を持っていることは悲しいことでも辛いことでもなくて、自分が自分であるために必要なことで。誰にも開示しないでおく、ってことが大事なのかなと思ったんです。それは、「寂しい」こととは違うんじゃないかなって思ったんですよね。

佐藤

そうですね。そう思います。私も、孤独を否定的には捉えていないんですよ。……でも、寂しくなるのは嫌なんです。だから寂しくならないように、寂しくならないようにっていうふうに生きている気がしますね、考えてみたら。寂しいと思うのが、すごく怖い。だから、とことんコミュニケーションをとろうとする。そうできないことが寂しいと思っているんだと思います。

土門

なるほど。

佐藤

だから、この人だ!って思った人には、本当に繋がり合おうとするんですよ。好きな人とは濃く繋がりたい。何ていうのかな、あるウザさみたいなのが自分にはあるなっていうのは昔から自覚していて(笑)。人生長くても80年しか生きられないんだったら、傷ついてもいいから、本気のコミュニケーションを人ととりたいって思っているんです。ちゃんと心と心でつながるってことを少しでも多く実感して、この人生を終わりたい。それで裏切られたり、喧嘩したり、傷ついたりしてもいい。マゾなんですかね?(笑)でも本当にそう思うんですよ。なぜかって言うと多分……すごく、信じているからなんです。

土門

信じているから。

佐藤

期待が外れて、がっかりしてもいいと思った上で、信じているから。だから、この人を信じようと思ったら、いっぱい時間作って教えて、成長を促進させたいって思うんです。そういうコストのネジがばかになっているんですよね。最初から期待しない方が生きるのが楽だろうとは思って何度か試みたこともあったんですけど、うまくいかないんです。すぐに期待してしまう。だけど、私が12年経営者としてやってこれていたとしたなら、やっぱりそういう「人」との関わり方というか、人的資産にものすごくこだわりがあって。一緒に働いてくれる人たちとは特別な関係を築きたいから、精一杯向き合おうとする経営者ではあったと思います。言いたくないことも言わなくちゃいけないっていうときには、お尻と椅子の間にびっしょり汗をかきながらでも、一所懸命正直に言ってきたし。何か誤解があるなっていうときにはその人を呼んで話し合ったし。それで解決したわけではないこともいっぱいあるけれど、コミュニケーションから逃げないっていうことは自分にすごく誓っていて。だからこそ、それがうまく伝わらなかったときには、寂しさ、徒労感、切なさは感じるんですけど、それでもやめられないんで、よっぽど人と向き合いたいんだってことですよね。だから今はもう、それを自分の「経営者としての持ち味」にしていくしかないなって、諦めている感じですね。

切実な感情から逃げていては、誰かの心を動かすものは作れない

土門

だけど、逆にそれで傷つくことも多くなりますよね。諸刃の剣というか。

佐藤

そうなんですよね。ただそれでもし今後、そんな自分のパーソナリティによって仕事をすることが苦しくなって、経営ができなくなってしまったら、それが私の限界かなって思うんです。人に興味を持たないで、期待もしないようにして、そういうふうに自分を守ったらあと10年経営続けられるよって言われても、私は自分のパーソナリティを持ったまま10年短く経営できたほうがいいかなって。だって、それこそ「フィットする暮らし」じゃないですか。自分以外のものになって成功できても、本末転倒だから。

土門

濃く関われば関わるほど、傷つく可能性も高くなっていきますが、それでも。

佐藤

うん、がっかりするってそんなに悪いことでもないと思うんですよね。嬉しいと思うのと同じくらい、人生にとって意味のある感情だと思うので。がっかりするとか傷つくとか、そういう切実な感情をいかにいっぱい一番奥の金庫に蓄えられているか。それが今後もいいサービスを作っていけるかどうかのキーになると思うんですよ。いっぱいいろんな感情……中には本当は味わわないですんだ感情があったとしても、それを味わうことで、誰かを癒すようなサービスを作れたらいいんじゃないかって思ってしまうんです。

土門

ああ……本当にそうだなって思います。わたしも、辛い感情なんか味わわないで済む方法は頭ではわかっているんですけど、それを味わうことがすごく大事だってこともどこかでわかっているんです。すごく傷ついて、悲しくて、いっぱい泣いたとか、そういうのもこう、ふたつ目の金庫にしまっておいて。

佐藤

うんうん。

土門

それがいつか、自分がものを書くときに滲み出るんだってことも、わかっている気がします。その感情も財産になるというか。

佐藤

そうなんですよね。そこから逃げていては、やっぱり、誰かの心を動かすものは作れないって思う。「私は経営者だからもう気にしないんだ」ってどちらかを忘れたふりをして振り切るのって、楽じゃないですか。でも、私はどっちつかずで揺れ続けられるやつでいたいって、すごく思っているんです。なんかその、「答えが出切らない」っていう重さのある荷物をいっぱい抱えた状態でいることが、本質的にはいやじゃない。その荷物から出てくるものがあるなって、実感しているので。

土門

はい、はい。

佐藤

こうあるべきなんじゃないかって思ったり、でもやっぱり違うんじゃないかってやめてみたり。その間の揺れこそが、すごく大事なんじゃないかって思うんです。ずっと答えを出さないでいるっていうのが、なんていうのかな、自分には意味があるって感じているんですよね。だからさっき、「疲れ続けてます」って言ったけれど、それでいいんだと思います(笑)。悩んで悩んで、でも解決しないでいいと思っているんでしょうね。

土門

あはは。私も実はほっとしていたんですよ。佐藤さんが疲れ続けていることはいいことなんだなって(笑)。

佐藤

ジョギングして、適当に発散しながら、「悩んで疲れ続ける人生でも別に悪くなくない?」って思っちゃう(笑)。

土門

でもそれはきっと、『北欧、暮らしの道具店』があるからですよね。もやもやしたりぐるぐるしたりが『北欧、暮らしの道具店』というアウトプットに繋がって、そこで佐藤さんが癒されているというか。

佐藤

ああ、それはすごくあると思います。私、『北欧、暮らしの道具店』を作れてなかったらどうなってたかなって思うんです。なにかを共有して喜んでくれるお客様やスタッフと出会えなかったら、腐ってたんじゃないかな。こういう場があるから生きていられるって言っても過言ではないですね。『北欧、暮らしの道具店』は自分たちで作ったものだけれど、一番『北欧、暮らしの道具店』に感謝しているのは多分私だと思います。この場を通して大事な人々にいっぱい出会えたし、本当に感謝しかありません。だから、悩んだり疲れたりするなんて当然でしょうって思うんですよ。『北欧、暮らしの道具店』という場を得た代償なんだから頑張りなさいよって、いつも自分に思っていますね。

インタビューが終わったときには、もう日が暮れていた。

時計を見たら2時間も経っていて驚く。話に夢中になっていて、こんなに時間が経っているとは思わなかった。
佐藤さんの前だと、インタビューをしているのにも関わらず、つい自分の話も一所懸命してしまう。それはきっと、佐藤さんが本気で目の前のわたしとコミュニケーションを欲しているのを、自然と感じ取るからだと思う。

「人生長くても80年しか生きられないんだったら、傷ついてもいいから、本気のコミュニケーションを人ととりたい」

佐藤さんはまっすぐにわたしの目を見ながらそう言った。
もしもそれで自分が傷だらけになって、「経営」という仕事が続けられなくなったとしても、それが自分にとっての「フィットする暮らし」だから、と。

わたしはそれを聞きながら、彼女が「私が経営者でいいのかな?」と悩んでいた言葉も同時に思い出していた。

「経営者」と「クリエイター」。
佐藤さんの中には、そのふたりが存在している。

したたかでタフな心を持って前に進み続ける経営者と、切実な感情を咀嚼して共感を作り出すクリエイターでは、矛盾することもあるだろう。

だけど佐藤さんは、その矛盾を無理に解決しようとしない。
その間でゆらゆらと揺れ続けながら、体力を消耗しながら、それでもそこから逃げ出さずに、さまざまな感情を真っ向から受け止める。

「がっかりするとか傷つくとか、そういう切実な感情をいかにいっぱい一番奥の金庫に蓄えられているか」

それがものを作る上で大事だと知っているから。
そして、何より、自分にはそれしかできないのだと知っているから。

人の少なくなったオフィスで、最後にこんな質問をした。
「もし佐藤さんが会社のトップだったとしても、同じように人を信じていたと思いますか?」

すると佐藤さんはこう言った。
「していたと思います。私にはこういうふうにしかできないので」

その答えを聞いて、わたしはなんだか嬉しかった。
自分もこれでいいのだな、と思ったから。

切り捨てる強さがあるなら、受け入れる強さもある。
邁進する強さがあるなら、揺れ続ける強さもある。

信じなければ味わうことのなかった悲しみも、期待しなければ味わうことのなかった徒労感も、全部きちんと味わって、佐藤さんはふたつ目の金庫にそれらをしまう。

全部いつか『北欧、暮らしの道具店』になる。
その対価である金貨みたいなものが、ふたつ目の金庫には詰まっているのだと思う。

取材=京都文鳥社

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土門蘭

1985年広島生。小説家。京都在住。ウェブ制作会社でライター・ディレクターとして勤務後、2017年、出版業・執筆業を行う合同会社文鳥社を設立。インタビュー記事のライティングやコピーライティングなど行う傍ら、小説・短歌等の文芸作品を執筆する。共著に『100年後あなたもわたしもいない日に』(文鳥社刊)。

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