コラム

「怒られないローカル」の先へ。道東を発信する88年生まれの覚悟

日本という国は、狭いようでいて広い。地元で知らない人はいない名物も、いざ外に出てみると驚くほど知られていない。

インターネットがいくら普及しても、そうなのだ。情報が相手に届くのは、興味を持ってクリックされてから。人の関心は身の回りに向きがちであり、他所の情報が興味を持たれるまでの道のりは実に険しい。

だから、近年あちこちで飛び交う「地元の魅力を発信する」という言葉も、いざ実行するとなると恐ろしく難しい。だがそれでも、日本全国でローカルに腰を据え、発信に取り組む若者たちがいる。中西拓郎さんも、そんな一人だ。

彼の地元は北海道の北東に位置する北見(きたみ)市。ローカルメディアの運営や地元企業のPRなどを手がける中西さんは、昨冬、「道東誘致大作戦」というプロジェクトを実現させた。

道東誘致大作戦は、函館や札幌、旭川のような観光地がある西側に比べ、一般的な知名度の低い北海道の「道東」エリアの魅力を発信するプロジェクト。ローカル領域で活躍するプレイヤーたちを招待し、全力でもてなすツアーを組むことで道東を好きになってもらおうというものだ。


写真左から、小林直博さん、徳谷柿次郎、藤本智士さん、木村昌史さん、柳下恭平さん、小倉ヒラクさん。

ゲストとして招かれたのは、全部で5名。株式会社Re:S代表で編集者の藤本智士さん、校正・校閲の会社「鴎来堂」と書店「かもめブックス」代表の柳下恭平さん、発酵デザイナーの小倉ヒラクさん、長野・飯山を拠点に活動する編集者・フォトグラファーの小林直博さん、ウェブメディア『BAMP』『ジモコロ』の編集長をつとめる徳谷柿次郎

さらに、アパレルブランド「ALL YOURS」の木村昌史さんも飛び入りで参戦し、いずれもジャンルは違えど、「ローカル」を軸に活動する面々が道東へと集まった。

事前のクラウドファンディングの支援額に応じてツアーの行き先が変わるという試み、そして編集者から書店代表まで幅広いゲストの顔ぶれがSNS上で大きな話題を呼び、クラウドファンディングでは目標の140%を超える支援額を集めた。

プロジェクトを振り返る中西さんの話からは、人もチャンスも都会に比べて少ないローカルで生きる上での「覚悟」が見えてきた。これはローカルで奮闘する、一人の若者の物語。

プロフィール
中西拓郎(なかにし・たくろう)
1988年生まれ、北海道北見市出身。防衛省入省後、2012年まで千葉県で過ごし、Uターン。2015年『Magazine 1988』を創刊。2017年より、一般社団法人オホーツク・テロワール理事・『HARU』編集長。ローカルメディア運営他、企業のPR・ブランディングなども手がける。

ローカルで多くなりがちな「何でもやる」人

まず、中西さんの現在のお仕事について教えてください。

地元である北海道の北見で、「道東をもっと刺激的にする」をコンセプトにしたローカルメディア「1988」を運営しています。担当としては、編集長とライターとカメラマンとデザイナーと営業と……要するに全部ですね(笑)。

メディア運営だけだと食っていけないんで、企業のPRとか撮影とか、いろんな仕事を受けてます。ローカルのクリエイターや編集者には、僕みたいに「何でもやる」って人、結構多いと思いますよ。

もともと、デザインや写真はどこかで勉強されていたんですか?

いえ、ほぼ全て独学です。僕、高校を卒業した後に防衛省に入ったんですよ。当時は千葉に住んでいたのですが、関東にいると地元の情報が全然入ってこないことに驚いて。

僕自身、いつか地元に帰ろうと思ってたんですが、そういう人が判断材料にできる地元の情報が世の中に全く出回っていない。北海道を出て、初めてそのことに気が付いたんです。

だから、誰もやってないなら自分が発信しよう。メディアを作ろうと思って、防衛省を辞めて地元へ帰りました。メディアのことなんて何もわからなかったんですけど、北見のデザイン会社で1年くらい働いて、デザインやカメラに関して最低限の勉強をして。あとは一人でやりながら覚えていきました。


「1988」の公式ウェブショップ。紙版の「1988」のほか、オリジナルブランド「Kitamicity」の洋服やステッカーなども販売している

最初に「1988」は紙の雑誌から始まって、その後にウェブも始めました。実績も経験もないので熱量だけで、ひたすら自分の限界に挑戦した感じですね。でも、続けるうちに地元の仲間もだんだんでき始めました。さらに、道東誘致大作戦みたいな大きなお祭りにまで発展して。そのことはすごく感慨深いです。

道東誘致大作戦というイベントが生まれた経緯としては、まずBAMP編集長でもある徳谷柿次郎との出会いがあったとか?

はい。2年前に柿次郎さんが北海道へ取材で来たんです。僕は『ジモコロ』を見て柿次郎さんのことを知っていたんですが、たまたま札幌の知り合いに繋げてもらい、道東で一緒に飲むことができました。

すると、その別れ際に「中西くんはまた、会う機会を作ってくれる人だから」って言われたんですよね。向こうにとってはリップサービスかもしれないけど、その言葉が僕の中にずっと残ってました。

だから、その半年後くらいに僕が東京へ行く機会があって、柿次郎さんに連絡したんです。そしたらちょうどカメラマンを探してたとかで、「ジモコロ」の取材で撮影を頼んでくれたんですよ。

旅先での「また会いましょう」って約束は、なかなか実現しないですよね。それをきっちり、中西さんが自分から動くことで繋げたんですね。

関係性を続けていくためには、まずは自分が動かなきゃ


道東誘致大作戦では、オホーツク地域の飲食店や企業、作家の元を2泊3日かけてまわった

そこから「道東誘致大作戦」へはどのように繋がっていったのでしょう?

柿次郎さんとの出会い以降、フリーペーパー『鶴と亀』を作っていた小林直博くんや、秋田のフリーマガジン『のんびり』の編集者である藤本智士さんのように、憧れていた他の土地のプレイヤーとも知り合うことができました。彼らのように全国で活躍する人を地元へ呼べたらと思っていたんですが、同時に、普通に呼んでも面白くないな、とも……。

そうしたら、最初の小さなきっかけだけが突然降ってきたんです。何かのタイミングで、Facebookのコメント欄に柿次郎さんが「冬の北海道へ行きたい!」みたいに書き込んでくれたんですよ。すると、そこに藤本さんも呼ぼう、じゃあ柳下さんも、ヒラクさんも…と、どんどん盛り上がっていったんです。

その時点では、Facebookのコメント欄でのやりとりですか?

はい。だから、SNS上のノリとして流しちゃうこともできますよね。なんたって、 日本全国を飛び回ってるプレイヤーを何人も捕まえて北海道を案内するって、めちゃくちゃ大変なのはわかりきってますから(笑)。でも僕は、チャンスだと捉えたんです。

というのも、僕は昔から「関係性を繋げていくためには、自分が動かなきゃ」と思ってたんです。だって基本的に、誰かが自分に会おうと思う理由なんてないですよね? 僕がアイドルの「嵐」とかならともかく(笑)。

だから、自分から動いて、次に会う機会を作って、その積み重ねで信頼関係を築いて…ってコミュニケーションの取り方を僕はずっとしてきていたんです。

会うのをただ待っているのではなく。

そうですね。自分に試練を課すというか。

東京のような人の多い土地のほうが、ただ待っていても偶然出会えることもありますよね。ただ、人の少ない地方のローカルでは会うためのコストがぐんと跳ね上がるはず。そうした環境が、中西さんの姿勢を生んでいるように思います。

ああ、それはあるかもしれません。とにかく、そんな感じで道東誘致大作戦の最初は勢いだったんですよ。「あれ、本当に実現します!」って。

とはいえ自分一人では難しいので、同世代の道東で頑張ってる仲間を集めて、チームを作りました。皆それぞれ、釧路で「クスろ港」、十勝で「北海道ローカルマーケット」、オホーツクで「オホーツク島」というローカルメディアをやりながら「道東を面白くしたい」と思ってる人たちです。


写真左から、名塚ちひろさん、須藤か志こさん、中西さん、神宮司亜沙美さん。さらに佐野和哉さんを加えたのが道東誘致大作戦の運営チーム

イベントを実現する過程で、クラウドファンディングで資金を集めたのはどうしてだったのでしょう?

イベントをやりたいと思いましたが、予算がまったくなかったんです(笑)。まず「道東」は行政区分ではないので、道東という枠でやると行政の補助金をもらうのが難しくて。「北見誘致大作戦」や「釧路誘致大作戦」にすれば、補助金ベースでやれた可能性もあります。

ただ、僕は「道東」にこだわりたかったんです。北海道って、とにかくプレイヤーが少ないんですよ。僕の住んでる北見じゃ全然足りないし、オホーツクまで広げてもまだいない。道東まで広げて、十勝や釧路まで入れると、やっと何人かいるぞ、という感じ。北海道は物理的に距離が離れているがために、隣町であっても、お互いを知らないという課題も感じていました。

そこで、どうせやるなら道東全域を巻き込んで、DIYでお金を作るところから挑戦しようとクラウドファンディングに挑戦したんです。オホーツク・釧路・十勝と3地域での誘致合戦というコンセプトにすることで、イベント前からそれぞれの地域をPRするという狙いがありました。

地域の人を巻き込んで、みんなに「自分の地元は最高だよ、来てね!」と言ってもらうことで、プロジェクトへの関心を高め、道東全体でひとつになっていける雰囲気をつくっていきたかった。だから、クラウドファンディングはある意味必然でした。

「ローカル怒られない問題」とは

道東誘致大作戦を改めて振り返ってみて、いかがですか?

自分としての手応えはあるんです。道東の面白い人や企業とゲストを繋げることができて、実際に「ジモコロ」でも道東の記事が生まれて。さらに、この夏にはスピンオフ企画として、道東誘致大作戦のゲスト陣を十勝に集めたイベント「脳天直撃学校祭」も開催されました。

ただ、道東誘致大作戦の最終日に、ゲストの人たちに怒られまして……あれはけっこう引きずりましたね。

それは、どんな風に?

3日間で13箇所くらいを案内したんですけど、その行程の詰め込み具合とか、最終日のトークイベントの仕切りの悪さとか。あとは、僕自身の覚悟の足りなさみたいなところを、ゲストの人たちから指摘されましたね。

ただ、そのことはすごくありがたかったんです。足りないところが見えても言わない方が簡単ですから、ゲストの人たちがそこまで本気で僕のことを考えてくれたってことですし、なにより「ローカル怒られない問題」があるので。

ローカル怒られない問題?

怒られるというのは、単に説教って意味だけじゃなくて。ローカルでメディアや編集の仕事をしていると、「良い」「悪い」の評価さえほとんどもらえないんですよ。仕事で写真を撮ったりサイトを作っても、クライアントさんから返ってくるのは「ありがとうございます。受け取りました」。

都会に比べて、高いクオリティを知ってる人がどうしても少なくなるので、内容に関してなかなか指摘できないんですよね。だから仕事をする上の指標が自分の絶対的な評価しかないので、すごく悶々とすることが多くて。

ゲストとして第一線のプレイヤーたちを呼ぶということは、単に彼らに地元のことを知ってもらうだけではなく、プロのフィードバックを得られる成果もあったと。

あとは「神輿としてちゃんと担がれろ」って話もありましたね。僕が「道東誘致大作戦」の言い出しっぺで、リーダーにならなきゃいけなかったんですが、細かい調整とか全部自分でやっちゃってたんですよね。でも、リーダーなんだから、もっと人に任せろと。

プロジェクトが大きくなればなるほど、リーダーが実務も抱え込んでしまうと回らなくなってしまいますね。

リーダーには「神輿」として象徴的な存在になるというか、もっと重要な仕事がありますからね。ローカルでずっと一人でやってきたので、担がれ下手だったと思うんです。でも、あれからちょっとずつ人に任せる練習はできてると思います。僕はとにかく、動きまくろうと。

道東の神輿になる?

なれればいいですけどね(笑)。でも、僕がリスクをとって本気で動いたから、憧れていた大先輩たちに道東へ来ていただけて、本気の言葉をもらうことができた。それは自信になりました。

だから、こんな俺でもできたんだよ!って、最近は言うようにしてるんです。北海道の端のほうで、デザインソフトの名前も知らなくても、メディアを作って、仲間を集めて、第一線のプレイヤーを巻き込んだイベントを実現することができた。同じように地元で頑張ってる人たちに、そのことは伝えたいですね。

STORE 1988
  • 道東をもっと刺激的にする雑誌「1988」のバックナンバーをはじめ、オリジナルブランド「Kitamicity」の洋服やステッカーを販売。

撮影=小林直博(※道東誘致大作戦の写真のみ)

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友光 だんご

1989年生まれ、岡山県出身。早稲田大学文化構想学部卒。出版社勤務ののち、2017年3月より編集者/ライターとして独立。Huuuu所属。インタビューと犬とビールが好きです。

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