「この辺りで、おじさんたちと夜な夜な話し込んでました。実はその時の経験が、子どもたちを支援する今の活動につながっているんです」
新宿の駅前でそう話すのは、荒井佑介さん。貧困や虐待などの困難に直面した子どもを支援するNPO団体「PIECES」に所属する27歳だ。
荒井さんが「おじさん」と懐かしそうに呼ぶのは、路上で生活するホームレスの人たち。彼の「人助け」の活動は、大学時代のホームレス支援から始まっている。
当時の荒井さんは18歳。とあるホームレスの男性と出会い、男性の就職先を探す活動を一人で始めた。その後、ホームレスの自立を支援する雑誌「ビッグイシュー」への参加や企業への就職を経て、仲間とともに「PIECES」を立ち上げ、現在に至る。
この社会には、大勢の“困っている”人々がいる。しかし、その姿が私たちの目に入ることは決して多くはない。雑踏に、どこかの家の中に、彼らはひっそりと存在している。
荒井さんが彼らの存在に気づき、寄り添うようになったのはなぜか。そして10年近くも活動を続けてきたのは、一体どんな思いからなのか。荒井さんに話を聞いた。
プロフィール
荒井佑介(あらい・ゆうすけ)
「3つの孤立」を解消したい
まず、荒井さんの現在の活動について教えていただけますか。
「PIECES」というNPOで、子どもの支援に取り組んでいます。例えば今、日本で子どもの7人に1人が貧困と言われている(※1)ことを知っていますか?
※1…出典:厚生労働省「平成28年国民生活基礎調査」
そんなに……知らなかったです。
貧困だけでなく、家庭での暴力やネグレクト、学校でのいじめなど、さまざまな困難を子どもたちは抱えています。PIECESでは、彼らには「3つの孤立」があると考えています。
家庭での暴力や無関心という「家庭での孤立」、学校でのいじめや無関心という「学校での孤立」、そして、地域に繋がりがなく誰にも助けを求めることができないという「地域での孤立」です。
孤立してしまった子どもは「頑張っても意味がない」「誰も助けてくれない」と思うようになり、学びたい、何かをやってみたい、挑戦したいという意欲が無くなってしまいます。
例えば貧困なら経済的な支援をすればいい、と思いがちです。そうではなくて、実はもっと根深いところに問題があると。
はい。孤立していると、他人の目や支援の手が届きづらい。困っている子どもに学校の先生や地域の人が気づきにくく、問題の発見が遅くなってしまう現実があるんです。
そこで、NPOとして仲間を集め、子どもたちの「孤立」を解消できないかと活動しています。
親でも先生でもなく、信頼できる第三者
「孤立」を解消するため、具体的にどんな活動をしているんでしょう。
子どもたちと対等な立場で接して関係を作る「コミュニティユースワーカー」の育成です。
コミュニティユースワーカーとは、孤立している子どもと会い、普通の関わりを通じてゆっくり信頼関係を築いていく存在です。
孤立している子どもに必要なのは自分に関心を向けてくれる誰かとの「関係」。だから、一緒にご飯を食べたり、何でもない話をしたり、あくまで普通の関わりをします。
親でも先生でもなく、信頼できる第三者というイメージでしょうか。
そうですね。誰かと一緒にいて安心するという感覚をまず持ってもらう。一対一の関係から始めて、ゲームをしたり、外で遊んだり、子どもの興味関心に合わせて関わりを変えていきます。
複数人を集めてプログラミング体験やスポーツ大会を開くこともあります。実は今、CAMPFIREで活動資金を募るプロジェクトも実施しているんですよ。
まるで友達のような関係ですが、任期というか、コミュニティユースワーカーが担当する期間のようなものはあるのでしょうか。
関係に終わりはないと考えています。子どもの抱える問題が解消されるにつれ頻度は減りますが、連絡はとり続けます。
薄く関係が続いて、ふとした時に「大学へ行きたいんだけど」みたいな相談を受けたり。距離感は変わりながらも、ずっと続く関係が大事なのかなと思っていますね。
活動の原点は、新宿駅で出会った男性の仕事探し
現在のPIECESの活動には、どのような経緯で参加するようになったのでしょう。
話せば長いんですが、初めはホームレスのおじさんの支援から始まっています。
別の団体で?
いえ、私一人でした。
18歳の時に、新宿駅で具合が悪そうなおじさんを見かけたんです。一人で座っていたので「大丈夫かな」と思って声をかけて。それから2〜3時間くらい話し込んだんです。
すると、今何歳で、こうやってホームレスになって……みたいにおじさんの身の上話をされて。でも、それが意外と面白かったんです。向こうも楽しかったのか、別れ際に「来週また話そう」と言われて。
それで翌週も?
はい。向こうは携帯電話を持ってないので、「水曜の18時に南口のマクドナルドな」っていう昭和みたいな待ち合わせをして(笑)。面白そうなのでその通りに行ってみたら、ちゃんとおじさんも来てくれてたんです。
それから、毎週おじさんと会って話すようになりました。そしたら彼が「農業をやりたい」と言うので、「じゃあ仕事探して来ます」と言っちゃったんですよ。まだ大学1年生の私が。
まだ社会人として働いたことのない学生でそれが言えるのはすごいですよね。仕事のあてはあったんですか?
なかったので、A4用紙におじさんの経歴をまとめて、農業関連のマッチングフェスタで「こういう人雇ってくれませんか?」と言ってまわりました。
すると、「わかった。じゃあ一旦、荒井くんが来るか」という人がいて。なので一時期、農家でアルバイトしてました。
おじさんではなく、まず荒井さんが(笑)。その頃、大学へは行っていたんですか?
ほぼ行ってなかったですね。農業バイトをしていた時期に「NPOを作るのは簡単だよ」と聞いて、ホームレスの就労支援をするNPOを一人で立ち上げたんです。農業関連の就労支援を中心に活動を始めて。それをきっかけに他のホームレスの人とも話すようになって、全部で4〜5人くらいのおじさんと会いました。
それで、NPOとして活動していたら「おじさんを雇ってもいいよ」という農家もいくつか見つかったんです。でも、おじさんたちが全員失踪しちゃったんですよ。
なんと……。
おそらく、危ない仕事に関わってたんじゃないかと思います。支援していたホームレスの人たちがいなくなってしまったので、自分のNPOは解散しました。そして、他の団体でボランティアをしてみることにしたんです。
なぜこういうおじさんたちが生まれるんだろう?
いくつかの団体を回ってから、「ビッグイシュー」(※2)にインターンとして入りました。当時はリーマンショックのあと、2009年くらいで、若いホームレスが増えた時期だったんです。
※2「ビッグイシュー」
1991年にロンドンで生まれ、2003年に日本版が創刊。ホームレスが販売者となり、路上で売る雑誌。定価350円のうち180円が販売者の収入となる。その売り上げを元に、ホームレスの自立を促している。
若いホームレスというのはどういう人たちですか?
20代から30代のホームレスで、いわゆる「派遣切り」にあった人やリーマンショックで失業した人たちが多かったように思います。当時の私は20歳でしたが、同い年のホームレスもいましたね。
ビッグイシューで働きながら、そんなホームレスの人たちと友達みたいに接してました。仕事終わりに皆さんの寝床に行って、一緒にご飯を食べたり、お酒を飲んだり。
この時に、ハードな境遇の人に山ほど会いました。例えば、生活費を得るために携帯を各社で契約して名義を売り、ブラックリストに載った人。それから借金が原因で暴力団関係者に追われ、偽名を使って生きている人など……裏の仕事もたくさん見えましたね。
新宿でおじさんたちと話し混んで終電を逃した時、路上で寝てみたこともあります。すぐ真横を人が歩いているので、怖くてなかなか寝られなくて。それに、地面で寝るとホコリがすごくて、朝起きたら喉が痛くなっていました。ああ、こういうところで彼らは生きてるんだな、と知ったんです。
若いホームレスの人たちと接して気づいたことがたくさんあったんですね。
そうです。彼らの多くは幼少期から虐待を受けていたり、生活困窮世帯で育っていました。だから家に帰りづらかったと彼らは話すんですが、ある意味、そんな状況が今もずっと続いていると思ったんです。
最初の新宿駅のおじさんと関わり始めた時から、「なんでこの人たちはこうなるんだろう?」という思いを抱いていました。その関心が、ホームレスの人たちの背景を深く知ることで強くなっていって。
子ども時代に適切な家庭環境や人との関わりがないと、進学や就職でつまづく人が多い。地元で失敗して、「東京に仕事があるのでは」と上京するもうまくいかず、ホームレスに……というパターンは結構多かったです。もちろん、逆境から努力して成功する人もたくさんいますけどね。
学習支援だけでは救えない子ども達がいた
子ども時代の恵まれない環境がその後の人生に影響を与えていると気づいたことが、現在の活動にもつながっているんですね。
はい。ビッグイシューで埼玉支部の立ち上げに関わっていた時に、大学の先生と知り合ったんです。その先生に紹介された人が埼玉の自治体と共に子どもの学習支援に取り組んでいて。
その活動を手伝い始めたのが、相手が子どもに変わったきっかけでした。
子どもに関わるのは楽しかったです。それに、いくつかの学習支援団体に所属していたのですが、当時は学習支援に関わっている人も少なくて。学生でも主体的に運営できたことも面白かったんです。就職しても、活動はずっと続けていました。
子どもの学習支援というのはどのような取り組みなんでしょう?
まず、日本はいい学校に進学するために塾や通信教育を活用することが多いです。でも、塾や通信教育の費用が高くて、経済的に余裕のない家庭の子どもは利用できない。
そこで、塾や通信教育を利用できない家庭の子に対し、ボランティアが無償で勉強を教えるというのが基本的な学習支援です。当時の私は豊島区・足立区で中学3年生向けに勉強を教えていました。
でも、私が教えている子どもたちのまわりに、学習支援に行けない子がたくさんいました。例えば勉強と聞くだけで行きたがらない子、そもそも家から出ることができない、人と話すことが苦手な子など、学習支援だけでは出会えない子がいることに気づいたんです。
そこで初めて、子どもたちの抱える学び以前の問題ーー「PIECES」で取り組んでいる「孤立」の問題が見えてきました。ちょうどその頃、同じような問題意識を抱える仲間たちと出会ったんです。その後、彼らと一緒にPIECESを立ち上げました。
普通の人が、普通にできる関わりを
現在の荒井さんは、コミュニティユースワーカーとして活動を?
いえ、今はコミュニティユースワーカーを育てる立場へ移行しています。自分がしてきた子どもたちへの接し方や関係の作り方を言語化・体系化して、人に伝える役割ですね。
だから、自分の活動を振り返ることも多くて。でも考えてみると、相手がホームレスであっても子どもであっても、実は結局、支援としては同じようなことをしているんです。
というと?
ホームレスの人って、話し相手を求めてるんですよね。やっぱり社会から孤立している人が多いですから。「おれらが一番必要なのは、食事でも、服でも寝床でもない。話す人なんだ。話せる人がいなくなることが一番怖い」と言っていたおじさんの言葉が印象的に残っています。
でも、ホームレスの中には健康的な人もいる。それは人とのつながりがある人なんです。つまり、人間にとって重要なのは関係性であるということ。それは子どもたちも一緒なんです。
社会へ出る前である中高生の子どもたちへの支援って、実は就労支援的なサポートも含まれます。おじさんの仕事を探して農家を訪ねていた頃と今は、一周回って同じことをしているんです。
そんな風に繋がるのは面白いですね。
10年近く、同じようなことを続けています。ただ、色々新しい方法は取り入れていて。
最近は特に孤立した子どもたちに向き合っているので、いかにしてそうした子どもを見つけるか、また見つけるためにどのような仕組みが必要かなどを考えています。
また、先月から足立区に引っ越したんです。より深く地域に入って、子どもたちの現状を知りたいなと思い、日々勉強しています。
荒井さんって、とても視線がフラットですよね。だからこそ、色んな知識を貪欲に取り込んで、活動に活かせている。
ホームレスのおじさんも子どもも、求めているのはやっぱり普通の関わりではないかなと思います。
コミュニティユースワーカーは資格が必要なわけではありません。私のように深く活動する人を増やすことも大事ですが、普通の働く人や大学生などが普通にできる関わりを大切にしながら、世の中を良い方向に変えていけたらと思っています。
「子どもをひとりぼっちにしないプロジェクト」
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- 内容
- 貧困や虐待、誰も関心を向けてくれない、頼る人がいない… そんな「ひとりぼっち」な子どもが日本にたくさんいます。 こうした子どもたち一人ひとりに合わせた小さな支援を広げていくためにこのプロジェクトを立ち上げました。 皆さんも子ども達を支える一員になりませんか?
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- プロジェクトURL https://camp-fire.jp/channels/pieces
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