愛媛みかんのピンチに動いた和歌山の農家! 豪雨被害と戦う産地のつながり

あなたはみかんが好きだろうか? 国内消費量はバナナに次ぐ二位。昔より消費量は落ちているものの、日本人にとってはまだまだ身近な果物のひとつだ。

去年の夏、そのみかんに危機が訪れた。大自然の猛威が、西日本を、みかんを襲ったのだ。

平成30年7月豪雨。おいしいみかんを作るために欠かせない「摘果(てきか/てっか)」と呼ばれる間引き作業を行う、大切な時期だった。


恵みでもあるはずの雨は表情を変えて、残酷なほどに猛った。特にみかん産地として名高い愛媛県宇和島市の被害は甚大だった。


洪水と土砂崩れにより、倒れて二度と再生しないみかんの木々。農道は土砂で通れず、園地に行くこともできない。それどころか山自体が削りとられ、跡形もなく消えた園地もある。

それでも義援金やボランティア、現地の人々の努力により、今も少しずつ復興は進んでいる。

そして平成30年11月30日。クラウドファンディングを活用した「みかん農家応援プロジェクト」が立ち上がった。



このプロジェクトは、「規格外みかん」を「応援価格」として高値で買い取る支援者を募るというもの。リターンとしては「規格外みかん」でつくったジュースが提供される。

災害などによりキズがつき市場に出せない「規格外みかん」は通常、加工用として安価で買い取られるが、「応援価格」で買い取ることができれば、農家を収入面で支えることができるのだ。

雨風でついたキズから病気が広がり、規格外になったみかん

 

「みかん農家応援プロジェクト」はおよそ1ヶ月間の募集期間を経て、支援者数は502名、支援金額は433万6,500円に達した(現在は終了)。

中心となってプロジェクトを立ち上げたのは、全国のみかん業界の人を集めた交流の場「日本みかんサミット」を運営するメンバー。産地や業種の垣根を越えた交流が、今回のクラウドファンディングの実施にもつながった。

「第2回みかんサミット」の様子。鹿児島県で開催した第1回では約90人、和歌山県で開催した第2回では約200人が集まった

 

なぜみかん業界は、「産地間の競争」という言葉も頻繁に用いられる一次産業の世界において、産地を越えた強固なつながりを得つつあるのか。
「日本みかんサミット」主催者・清原優太さん、そして和歌山のみかん農家である樫原正都(かしはら・まさと)さん、井上信太郎さんに話を聞いた。

そこから見えてきたのは「ともにみかんを愛する仲間として支え合う」というシンプルな、しかし革新的な行動原理だった。

フラットな立場から全国をつなぐ「日本みかんサミット」


清原優太さん。東京大学在学時、みかんが好きすぎるあまり、「日本のみかんの消費量を増やす」を理念とする団体「東大みかん愛好会」を設立。その後、2016年に「株式会社みかん」を立ち上げ、日本みかんサミットの開催や全国各地での講演などを行う

大島
サミットを開催しようと考えたきっかけは何だったのでしょう?

清原
前提として、日本でのみかんの消費量は全盛期の1970年代と比べて4分の1まで落ち込んでいます。他の果物と比べても、減り方は急激です。その危機感がある中、僕は学生時代に「東大みかん愛好会」というサークルを立ち上げ、全国のみかん産地を飛び回っていろんな生産者の方とお会いしました。そこで感じたのは、みかん農家のヨコのつながりの薄さです。「生産者さんは自分の産地以外の情報にはあまり詳しくないんだな」と驚きました。

大島
そうか、農家さんは農作業があるから、めったに他の産地に行けませんよね。


清原
はい、だから広げられるネットワークにも限界がある。でもいろんな方にお会いしている僕から見ると、全国にこんなにおもしろい人たちがいるんだから、つながっていないのはもったいない」と思いました。農家さんはみかんのプロだから、僕は知識では到底かなわない。だけど、「つなげる」という方向性だったら何かお役に立てるんじゃないかな、と。

大島
いち消費者として全国を回った清原さんだからこその視点ですね。

清原
従来は、ある産地だけ、農協だけ、消費者だけの単位での集まりはあっても、それらの垣根を越える機会がなかったんです。ならば、どこにも属していない自分のフラットな立場を活かせるんじゃないか、という思いがありました。

大島
そこで「日本みかんサミット」の第1回を鹿児島県で開催されたんですね。反響はいかがでしたか?

清原
個人的には反省点もありましたが、参加者からは評価していただきました。当時はサミットの参加者だった井上信太郎さんが「ぜひ次は和歌山で」と持ちかけてくれて、第2回につながったんです。




大島
第2回の参加者は約200人。全国から来ていると思うと、すごい人数ですよね。

清原
ありがたいですね。参加者のみなさんの気持ちは「面白そう」と「清原が全国回って熱心にやってるから協力しよう」が半々なんじゃないかと思います(笑)。


「第2回では、たとえば農協(JA)に所属している農家と非所属の農家との交流など、第1回以上に『つながり』を意識して運営しました」と清原さんは語る

清原
ただそれだけではなくて、根底ではこういう場が求められていたと感じています。みかんの消費量も落ちてますし、生産サイドでも高齢化・後継者不足で人手が少なくなって困っている。すぐに解決できる課題ばかりではないにせよ、みんなが連携すれば今よりはいい方向に進むんじゃないかと。

大島
サミットの場では、具体的にはどういったことを?

清原
産地、消費、栽培など、各分野の第一人者の方々に登壇していただき、パネルディスカッションやワークショップを行いました。1泊2日で夜には懇親会も開催し、参加者同士がサミット後も継続的につながれるようパンフレットやFacebookグループを作っています。とにかく参加者にとって有益なつながりが生まれやすくすることを目指しました。

パネルディスカッションのタイムテーブル。そのテーマは多岐にわたる

 


清原
実際、サミットでの出会いをきっかけに、ある個人の農家さんが「機能性表示食品」の認可をとることに成功しました。サミットに参加していた研究者の方のお話を参考にしたそうで、みかんに限らず個人が生鮮食品で認可をとるのは日本初のことなんです。他にも、サミットで着想を得て新たな加工品を開発した方もいたり。

大島
なるほど、サミットがきっかけでイノベーションが起きたと。

清原
それ以外でもみなさん個人レベルでは積極的につながっていて、「◯◯農園に産地視察に行った」という話も聞きます。もちろん今回のクラウドファンディングもサミット発の企画ですし、サミットを開いてよかったな、と思いますね。


区切り線
清原さんがみかんサミットで放ったエネルギーは、あらゆるところへと伝播する。それはおそらく本人さえ予想せぬほどの強い力で、遠く離れた産地をつないだ。たとえば愛媛と和歌山を。

続いてはその和歌山で、第2回サミットの実行委員でもあるみかん農家・樫原正都さんと井上信太郎さんに話を聞いた。サミットから生まれた復興支援プロジェクト、そこに見出される「お金以上の価値」とは?

幼馴染みでも、お互いの家のみかんを食べたことがない


写真右:樫原正都さん。「幸美農園」5代目園主。PRチーム「CHARLL’S」を立ち上げ、みかんや紀州うめどりなど和歌山県の特産物を広める活動をしている
写真左:井上信太郎さん。「善兵衛農園」7代目園主。樫原さんら地元の仲間と共に、ワーキングホリデーで訪れた若者の拠点となるコミュニティハウス「紀家わくわく」の運営を担う


大島
まずは、農家目線での日本みかんサミットの意義について聞かせてください。

井上
サミットのおかげで全国の農家さんとつながれたのが一番ですね。僕ら若手だけじゃなくて、30年目のベテラン農家さんとかも「こんな景色はたことがない」っておっしゃってて。「愛媛と静岡の、あそことあそこの組織の人が一緒にお酒飲んでるなんて昔だったら考えられなかった」と。

大島
やっぱりふだんは他の地域との交流は少ないんですか?

樫原
そうですね。基本的に農家は自分のエリアで仕事が完結してるから外に出ていく必要がないし、外にコネクションもないから。こないだ僕の幼馴染みの農家が「初めて信太郎(井上さん)のみかん食べた!めっちゃうまい!」って感動してて。ずーっと地元にいる幼馴染みなのに、お互いの家のみかんを食べたことがなかったんです。同じ地域でもそうなんだから、他の県のみかんの味を知る機会なんてほとんどない。


井上
みかん農家に生まれた人って、逆に「自分の家のみかんしか食べてこなかった」って人も多いのかもしれませんね。

樫原
僕は母のことを「自分の道を進んでるから、他の人の栽培技術とかに興味ないんやろな」と思ってたんです。でも、僕が注文した「日本一のみかん農家」と呼ばれる方のみかんを食べた母がめちゃめちゃ感動して、「これどうやって作ってんの?」と興味をもってくれた。そこで「その農家さんもサミット来るよ」って言ったら「サミット絶対行くわ!」と言うんです。うちの母のように、興味が薄いように見えても潜在的にはちゃんとみかんに対する情熱を持っている生産者はいっぱいいると思うんですよ。
みかんサミットのパンフレットを見ながら

 


全国のみかん農家はライバルじゃなくて仲間

大島
チームで「クラウドファンディングをやろう」と決めたのは、2018年7月の豪雨災害が起きてからすぐでしたか?

井上
そうですね、豪雨の次の週くらい。

樫原
清原くんと信太郎と3人で話したんです。第2回のサミットで「オールジャパン」を打ち出した僕らが、愛媛みかんの危機に何も動かないわけにはいかない。サミットを通じて、全国のみかん農家はライバルじゃなくて切磋琢磨していく仲間だと知ったから。

井上
7月当初は、まず被災地の現状把握を試みました。農機具が壊れたとかの直接的な被害に関しては国から手厚く補助してもらえると聞いて、少し安心はしたけど……。

樫原
でも「たぶんこれから、農家目線でしか分からんことが出てくるぞ」と思ったんです。


樫原
それで「規格外みかんが多くなってしまうから、そのぶん農家の所得が下がるんじゃないか」という仮説を立てました。実際、いろんな人に話を聞いていくとその仮説は正しかった。その後「みかんとみかんジュースをリターンにして、クラウドファンディングをやろう」という話が出ました。

大島
安価で市場に出されることになる規格外みかんを、農家さんから高いお金で直接買って還元したい、ということですよね。

樫原
そうです。でもそういうことを話していたところに、今度は9月、関西に台風がきた。

大島
災害に次ぐ災害……。和歌山の台風被害もかなり大きいものだったと聞いています。

台風直後、和歌山の農園の様子。決して小さな被害ではない

 

井上
台風で風も強かったから、海水が風に乗って畑に上がってくる塩害(えんがい)もすごかった。うちの農園でも100本くらいの木が枯れて、すべて伐ることになりました。植え代えて育てるコストや時間も新たにかかるわけだから、損害で言ったらそれだけで何百万円です。

樫原
災害だけじゃなくて異常気象もみかんの生育に影響してくるし、「自然が相手だから何があるか分からない」と痛感しました。

塩害で枯れてしまったみかんの木

 

大島
愛媛の支援に動きたいのに、和歌山の被害も決して無視できない。もどかしかったでしょうね……。

井上
確かにそのときは「愛媛だけやなくて和歌山の支援もやらなあかんやん」って思いました。

樫原
和歌山の人間がプロジェクトメンバーとして動いている以上、「おまえ自分のところほったらかして愛媛の支援ばっかりしてるけど、なんなん?」と思われる可能性もあった。実際、和歌山のほうの支援もやるつもりでした。

大島
ただ結果的に、愛媛の支援に特化したプロジェクトになりました。それはなぜでしょう?

樫原
理由は単純です。10月に清原くんと愛媛へ行ってみたら、和歌山の被害を遥かに超えるくらいひどい状況だったから。その状況を目の当たりにして、「これは愛媛特化でやるべきやろ」と決めました。もちろん和歌山の被害も大きかったけど、愛媛のほうはもう農園自体が崩れて消失してたり……比べものにならなかった。

「今年だけ」の支援では意味がない


樫原
それから現地で視察をしたときに、「市場がお見舞い金みたいな感じで高値でみかんを買ってくれるのはその年限り。これから復興には5、6年……下手したら10年かかる中で、『今年だけ』の支援ではあまり意味がない」という意見をいただいたんです。つまり単純に、「いつも通りの値段で」みかんを買い続けてくれる人を増やさないといけない。僕らは規格外のみかんをクラウドファンディングのリターンにしようと思ってたけど、それは間違っていたんです。

大島
間違っていた、というのは?


樫原
クラウドファンディングを通して僕らが単発でみかんを届けるより、「みかんそのものに興味を持って継続的に買ってもらう」ことが一番農家のためになると気がついて。まずは間口の広いジュースやアイスで愛媛みかんのおいしさを知ってもらい、ゆくゆくは「みかんを自分で購入する」という行動につなげよう、ということでリターンの内容を決めました。

大島
なるほど。そしてクラウドファンディングを終えてみた今、どんなお気持ちですか?支援金額は400万円、支援者数は500名を超えました。


井上
正直どのくらい伸びるか分からなかったんですが、今までお世話になった人たちの力も借りてなんとかここまでやれました。結果的に最終日だけで一気に80万円くらい増えて……ほんまにありがたいですね。

樫原
「愛媛と愛媛みかんを応援してくれる人がこんなにいるんだ」と分かったのは感動的ですし、最大の収穫じゃないかなと思います。

支援者502人の力で、災害を風化させない


樫原
それと今回のクラウドファンディングは、元々「お金を集めること」だけが目的ではなかったんです。もちろんお金も大事だけど、仮に500万円あったとしてもそれを農家500軒に配分したら1軒につき1万円。それ自体は微々たるものです。

大島
確かに、金額だけ見れば心もとないですね。

樫原
だからお金以上に、支援者を増やしたかった。今回支援してくれた人たちは、多かれ少なかれ愛媛や愛媛みかんに親しみを覚えてくれている人たちです。そして、ともすれば記憶が風化しやすい「災害」に対して意識的に関わり続け、発信し続けてくれる人たちでもあると思っています。たとえば支援者502人に今後の愛媛の復興状況を、クラウドファンディングのページを通じて定期的にダイレクトに発信できる。不特定多数にただ発信するよりは、いわば復興支援の当事者になってくれた502人に、現地の情報を直接届けられるのは大きいはずです。そうすれば災害の風化を少しでも防ぐことができる。

大島
クラウドファンディングで集めたお金だけでなく、お金の向こう側にこそ真の価値がある、と。


井上
災害とその支援に対する当事者意識を増やせるのが、このクラウドファンディングの裏テーマだったなと思います。


樫原
そしてもうひとつ実感したのは「消費者の声」の大切さです。「日本のみかんを愛してます」とか、「みなさんのこういう努力があったから、ふだんみかんを食べられてるんですね」とか……今回の支援者からの応援メッセージを見てると「このメッセージは絶対、全国の農家に届けなあかん」と思いました。ふつうにやってると、消費者の声はなかなか生産者に届きませんからね。

大島
消費者にみかんの価値を訴えるだけでなく、消費者の声を生産者に届け、生産者と消費者をつなぐのが大事ということでしょうか。

樫原
そうですね。それに改めて気づけたという意味でも、単に知り合いから寄付金を集めるんじゃなく、クラウドファンディング形式でやってよかったと思います。……まあこのスタイルのおかげで、僕ら自身がリスクも背負ってたんだけど(笑)。

井上
結果的には500万円という目標額にまあまあ近づくことができたけど、もし半分くらいしか達成できてなかったら、ジュースの在庫をふたりで1,000本抱える計算だったので(笑)。


大島
そうならなくてよかったです(笑)。でもその「自分たちに利益が入らないどころか、リスクを背負ってやっている」という姿勢まで含めて、現地に熱意が伝わるといいですよね。

樫原
まあリスクを背負ってでもやるのは、みかんサミットの主催側に回った者の宿命かなと(笑)。愛媛の被害状況を無視して、和歌山で「今年もおいしいみかんできましたよー」とのんきに言うことはできない、とずっと思ってました。せっかくみかんサミットでみんな一丸となれたんだから、動かないわけにはいかない。

井上
きっとこれからまたいろんな問題が出てくると思います。そういうときにまた動きたい。今回のクラウドファンディングはあくまで「第1弾」のつもりです。



農業において、全国規模の「ヨコのつながり」というのは珍しい。それはみかんのみならず、一次産業全体や職人仕事といった広い範囲で共通の問題でもある。

清原さんがこれまでのみかんサミットで実現させてきた「全国の生産者・みかん業界をつなげる」という目標。
今回のプロジェクトを通じ、そこに「消費者」という要素を盛り込む必然性がよりはっきりと見えてきた。

樫原さんは、クラウドファンディングについてまとめたnoteにこう記している。

現在の日本はまだまだ生産者と消費者の関わりが薄いままです。
消費者はオーディエンスではないのです。
皆さんの一言が生産者にとっての革命に繋がり、生産者の一言が消費の改革に繋がり、それらが市場の変革に繋がっていきます。

消費者とは誰なのか。他でもない、この記事を読んでいる皆さんのことであり、書いている筆者のことだ。

温州みかんのシーズンは終わり、伊予柑や不知火(デコポン)といった豊富な柑橘類が並ぶ季節になりつつある。みんなでおいしい柑橘を食べ、柑橘について語り合う。それこそが消費者参画の第一歩になるのではないか。

なおスーパーで買うだけでなく、通販で農家から直接買うのもおすすめだ。とびきりおいしい柑橘が、生産者と消費者とをダイレクトにつないでくれるはず。


平成30年は災害の年だった。その平成ももうすぐ終わる。
たとえ元号が変わろうと、風化させたくない出来事もある。

少しずつでもいい。小さな声が積み重なり、やがて巻き起こる風が未来を創る。
そう信じ、声を上げる以外に道はない。

写真:マエグチ アカネ